【ポップアート】現代美術の芸術運動その特徴と有名な画家、代表作を解説

 

アクリル絵の具で描いた作品

 

こんばんは、絵描きの川原です。

今回は現代美術の芸術運動である【ポップアート】についてお話していきます。

【ポップアート】と呼ばれる美術のジャンルは、これまで絵画の歴史の中で
扱われることのなかった、大衆的な娯楽を扱ったものなんです。

例えば『漫画』や『映画』『テレビで流れる広告』などが該当しますね。

それを芸術の中で扱ったということです。

それでは解説していきます。

 

 

ポップアートとは?


【Ⅿ-Maybe】1965年 ルートヴィヒ美術館

 

ポップアートとは現代美術の芸術運動のひとつで、1960年代にアメリカで流行した当時の大衆社会をモチーフとした芸術運動です。

 

雑誌や広告、グラフィックデザイン、テレビ番組、漫画、報道写真などを素材として扱っていました。
当時のアメリカの経済的繁栄や大衆文化、消費社会を風刺した表現が見られます。

 

『ポップアート』という言葉は美術家リチャード・ハミルトン
評論家ローレンス・アロウェイらの所属したイギリスの『インディペンデント・グループ』内で生まれたんですね。

 

元々こうした活動を始めたのはジャスパー・ジョーンズやロバート・ラウシェンバーグだと言われています。

 

この時代は抽象主義が盛んで、そうした美術を拒絶したポップアーティストは、
ハードなエッジとフラットな色面で絵画を制作していきました。

 

ポップアートといえばアメリカというイメージが強いですが、実はイギリス発祥なんです。

 

実際、戦時中から兵士が雑誌の切り抜きをコラージュして楽しむアートがあったようです。
これが戦後、評価されポップアートは始まりました。

ポップアートはイギリスで生まれ、アメリカで繁栄しました。

 

 

 

ポップアートの有名作家と作品

 

ジャスパー・ジョーンズ

ジャスパー・ジョーンズ

1930年5月15日‐

20世紀のアメリカの画家。

アメリカにおけるネオダダやポップアートの先駆者として重要な役割を果たしました。

1950年代後半に日常の中で、ありふれたものを用いて抽象絵画を作り出すとこに挑みました。

 

幼少期は『芸術的な環境になく、芸術の意味もよく分からなかった。』と話しています。

 

1947年から48年にかけてサウスカロライナ大学で学び、
1949年ニューヨークへ移りパーソンズ大学へ入学します。

 

1952年から1953年、朝鮮戦争の期間は兵役で仙台へ駐留していました。
1954年に兵役を終えニューヨークへ戻り絵画制作を開始します。

 

彼の転換期は【旗】と呼ばれるシリーズでした。

 

 

【旗】1954年‐1955年 ニューヨーク近代美術館

 

 

 

【3つの旗】1958年 ホイットニー美術館

 

 

 

 

アンディ・ウォーホル

アンディ・ウォーホル

1928年8月6日‐1987年2月22日

アメリカの画家、版画家、芸術家でポップアートの旗手。

幼い頃から虚弱体質で、肌は白く日光アレルギーでした。
早い時期から芸術の才能を表し、アルバイトをしながら高校を卒業。

 

カーネギー工科大学に進学し、広告芸術を学び1949年に卒業。
大学卒業後は、ニューヨークへ移り雑誌や広告のイラストで知られていきました。
イラストレーターだったんですね。

 

彼の作品は量産、分業に向いていたようです。

 

ウォーホルは大量消費社会を風刺するため、同じ図像を繰り返し刷って並置する見せ方をしました。
これは『シルクスクリーン』という版画技法で当時の有名人や食料品を描きました。

 

ウォーホルは自身の制作現場を『ザ・ファクトリー』と呼び、『アート・ワーカー』というスタッフを雇って分業でアート作品を量産しました。

 

彼の活躍はアートシーンのみにとどまらず、映画監督や物書き、ファッションデザイナーなど
数多くの分野で功績を残すことになります。

 

 


【キャンベルのスープ缶】1962年 ナショナルギャラリー ロンドン

 

 

 


【コカ・コーラ3】1962年 クリスタル・ビレッジ米国美術館

 

 

 

 

 

ロイ・リキテンスタイン

ロイ・リキテンスタイン

1923年10月27日‐1997年9月29日

アンディ・ウォーホルらと共にポップアートの代表的な画家。

ニューヨークで生まれ、1940年オハイオ州立大学美術学部に入学し、その途中兵役期間を含み
第二次世界大戦後の1949年、同大学で修士号を取得しています。

 

大学卒業後も大学にとどまり、1949年から1951年まで講師を務めました。

 

ロイ・リキテンスタインの作品は、誰がどう見ても彼の作品だと分かるほど明快です。
新聞連載の漫画の一コマを印刷インクのドットまでをキャンバスに拡大して描いた作品が多く、
漫画の持つ強烈な線、単純化された色彩などの表現力を油彩で表現しています。

 

リキテンスタインは自分の子供に
『パパはこんな漫画みたいにうまく描けない。』と言われたことがきっかけで、
このポップアートに取り組み始めたようです。

 

 


【ヘアリボンの少女】1965年 東京都現代美術館

 

 

 


【Ⅿ-Maybe】1965年 ルートヴィヒ美術館

 

 

 

 

 

日本のポップアート

 

草間彌生

1929年3月22日‐
長野県松本市出身。京都市立美術工芸学校絵画科卒業。

1962年にアンディ・ウォーホルらが参加したグループショーに参加。

 

 


【かぼちゃ】1999年 松本市美術館

 

 


【ハイヒール】1999年

 

 

 

 

横尾忠則

1936年6月27日‐
兵庫県西脇市出身。

日本の美術家、グラフィックデザイナー、版画家、作家。
神戸新聞社にてグラフィックデザイナーとして活動していました。

 

 


【Ⅿade in Japan,Tadanori Yokoo HAVING REACHED A CLIMAX AT THE AGE OF 29 I WAS DEAD】

1965年 

 

 

 

まとめ

今回は『ポップアート』についてお話してきました。

ポップアートの特徴をまとめると

・大量生産大量消費を皮肉り、テーマとして表現した。
・大衆の欲望をそのままモチーフにした。
・新聞や広告、漫画などを素材として扱った。

といった感じです。

 

今回はここまでにします。

次回から西洋美術史に登場した有名な【画家】を紹介していきます。

それではまた!