【イタリア未来派】未来派のスピード感と爆発感について解説します

アクリル絵の具で描いた作品

【薔薇】Ver.2.0

 

こんばんは!絵描きの川原です。

今回は【イタリア未来派】についてお話していきます。

ここ最近はずっと西洋美術史について書いています。
これからお話していく『イタリア未来派』以降の西洋美術史ですが、
あともう少しで書き終わります。

是非これからも『西洋美術史』の記事もチェックしてみてくださいね!

『西洋美術史』についての記事を書いてきましたがだんだんゴールが見えてきました。

 

それでは【イタリア未来派】について解説していきますね。

 

イタリア未来派とは

ウンベルト・ボッチョーニ【都市の成長】

 

20世紀初頭に起こった芸術運動のひとつです。
1910年代から20年代にかけてイタリアの社会改革を目指し発展しました。

 

機械文明が生んだ新しい美意識を形にした未来派は、
1909年に詩人フィリッポ・マリネッティが発表した『未来派宣言』とともに、
文学、美術、音楽を含む総合美術運動として始動しました。

 

翌年にはボッチョーニバッラら5人の画家が、【未来派絵画宣言】を打ち出します。

 

古い価値観の破壊と未来的な速度美の表現を目指す未来派絵画の売りは、
スピード感爆発感速度と運動の美を表現するため、
高速撮影した連続写真のように運動する物体の瞬間ごとの状態を1枚の絵に統合する手法を多用しました。

 

フォーヴィスムや表現主義に通じる感情的な『熱さ』もその特徴です。

 

未来派絵画はイタリア生まれのジョセフ・ステラとともにアメリカに渡り、ロシアにも波及しました。ロシア革命後に亡命したブルリュークらを通じて日本にも伝わりました。

 

一方、イタリア未来派は破壊と速度を賛美するあまり、
第一次世界大戦とその後のファシズムを肯定します。
内部分裂と国家による弾圧で次第に解体していきます。

 

未来派はほかにも、軍国主義的で好戦的で女性差別的とされることもあり、
ファシズムを助長したと批判されることもあります。

 

実際に未来派のマリネッティは独裁者ムッソリーニに近づき、
第一次世界大戦の思想的指導をしたとされています。

 

 

 

 

イタリア未来派の画家たち

 

ボッチョーニ


ウンベルト・ボッチョーニ

1882年10月19日‐1916年8月17日

イタリアの画家、彫刻家。
前衛芸術運動『未来派』を支えたメンバーのひとりです。

 

1901年ローマ美術アカデミーのヌード学校で美術を学びました。
『アール・ヌーヴォー』を代表するポスター画のジョバンニ・マタローニにも学びました。

 

1906年にパリへ移住し、印象派ポスト印象派の作風で活動しました。
翌1907年ミラノへ移住後、詩人マリネッティや色彩分離派(ディヴィジョニスモ)の画家たちと交流しました。

 

未来派に参加するまでは、イタリア各地を旅しながら多くの美術館を訪れ、
ミケランジェロのような古い時代の画家の作品を研究しました。

 

第一次世界大戦の開戦に伴い、ボッチョーニは砲兵連隊に入隊します。
1916年8月16日、騎兵隊訓練中に落馬し馬に踏みつけられ、
翌日に33歳の若さで亡くなりました。

 

 


【朝】1909年

 

 

 

 

 


【都市の夜明け】1910年

 

 

 

 

 

 


【弾性】1912年

 

 

 

 


【空間における連続性の唯一の形態】1913年

 

 

 

 

バッラ


ジャコモ・バッラ

1871年7月18日-1958年3月1日

イタリアの画家、彫刻家。

1900年頃にパリに旅行をして影響を受けます。

 

1910年にウンベルト・ボッチョーニカルロ・カッラルイジ・ルッソロ
ジーノ・セヴェリーニとともに
『未来派絵画宣言』に署名します。

 

人物の連続撮影で有名なエティエンヌ=ジュール・マレーの連続写真などに影響を受け、
速度やその動きを画面に表現しました。

 

それと同時に絵画上の形態の解体が進み、1910年代前半には抽象的傾向が強い作品も生み出しました。

最も早く『抽象絵画』を描いた一人です。

 

未来派の美術の特徴で、時間と空間の表現のひとつです。

 

 

 


【縄でひ
れた犬のダイナミズム】1912年 アメリカ オールブライト=ノックス美術館

 

 

 

 


【車と光の速度】1913年 トリノ ジョヴァンニ&マレッラ・アニェッリ絵画館

 

 

 

 


【愛の数】

 

 

 

 

 

セヴェリーニ


ジーノ・セヴェリーニ

1883年4月7日‐1966年2月26日

イタリアの画家。
未来派運動の中心的メンバーのひとりです。

 

主におありとローマで活躍しました。
第一次世界大戦後は『新古典主義』に傾倒した時期もありました。
また絵画のほか、モザイク画やフラスコ画など様々な技法の作品を残しています。

 

1900年セヴェリーニは『未来派芸術宣言』に署名することになる
画家ウンベルト・ボッチョーニに出会います。

セヴェリーニボッチョーニの二人は、パリから帰ったジャコモ・バッラのアトリエを訪れます。
ディヴィジョニスム、点描主義などの技法を知ることになります。

 

 


【金管奏者】1916年

 

 

 

デペーロ


フォルトゥナート・デペーロ

1892年3月30日‐1960年11月29日

イタリアの画家、彫刻家、デザイナー(コスチュームデザイン、グラフィックデザイン)

未来派の中心人物のひとりであり、絵画にとどまらずデザイン、舞台衣装、
舞台作品を制作しました。

 

 

 

 


【雷の作曲家】1931年

 

 

 

 

 

まとめ

 

今回は【イタリア未来派】についてお話してきました。

イタリア未来派をまとまると

・機械文明が生んだ新しい美意識
・スピード感と爆発感
・フォーヴィスムや表現主義に通じる感情的な『熱さ』

という感じです。

 

今回はここまでにします。

次回は【ロシア構成主義】についてお話します。

それではまた!

 

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