【新古典主義】その歴史と画家たち、作品をわかりやすく解説します

こんにちは!絵描きの川原です。


アクリル絵の具で描いた作品

18世紀中頃から19世紀初頭にかけて、ギリシャ、ローマで建築、絵画、彫刻などの
芸術分野で支配的になった芸術思潮を指します。

それが今回紹介する【新古典主義】という芸術運動です。
どんな画家がいたのか、どんな作品が生まれたのかなどわかりやすく解説していきます。

 

新古典主義とは?


新古典主義とは、芸術アカデミーが認め、国立美術学校が教え、
サロン(官展)が賞を与える「古典的」な作品こそ(だけ)を

西洋絵画の王道とする権威主義でもありました。

「新古典主義」が広がる前は、ルネサンス後の16~17世紀にバロック、18世紀初頭にロココという芸術様式が隆盛を極めていました。
フランスでは17世紀にも、バロックの過剰を嫌いルネサンス的調和を重んじた、ロランやプッサンの古典主義がありました。
18世紀末から19世紀前半に主流となった古典主義は「新」をつけて呼びます。

17世紀の古典主義との違いは、画風以上に【権威】にあります。

この様式は非常に厳格で権威あるものとされていました。

建築ではギリシャ神殿風の列柱をもつパリの「パンテオン」や
ナポレオンが古代ローマにならい戦勝記念に作らせた「エトワール凱旋門」などが有名です。

パンテオン神殿

エトワール凱旋門

 

ジャック=ルイ・ダヴィット

 

ジャック=ルイ・ダヴィット(1748年8月30日‐1825年12月29日)

フランス、パリ生まれの新古典主義を代表する画家の一人です。

ダヴィットは1775年から1780年までの約5年間イタリアへ留学しました。

イタリアでの研究を機に作風は18世紀のフランス画壇を風靡したロココから新古典主義に変化していきました。

フランス革命を支持し政治活動にも参加していたダヴィットは、体制側のナポレオンに対しても新たな時代のリーダーとして肖像画などのサポートを行いました。

その後、ナポレオンの庇護を受けて、1804年にはナポレオンの主席画家に任命されています。

1815年ナポレオンの失脚後、ダヴィットもまた失脚しベルギーへ亡命。
ダヴィットは亡くなるまでその地で制作をつづけました。


【サン・ベルナール峠を越えるナポレオン・ボナパルト】
 1801年 フランス マルメゾン城美術館

 

【ナポレオン一世の戴冠式と皇妃ジョセフィーヌの戴冠】
1805年-07年 パリ ルーヴル美術館

 

「ホラティウス兄弟の誓い」1784年 パリ ルーヴル美術館

 

ドミニク・アングル

ドミニク・アングル(1780年8月29日-1867年1月14日)

フランスの画家。ジャック=ルイ・ダヴィットから新古典主義の継承者だと言われています。
ダヴィットのもとで修行し、その後イタリアへ留学しました。

新古典主義とは対照的で当時新しい芸術運動であった「ロマン主義」の画家たちと対抗していました。44歳のアングルはダヴィットの後継者、新古典主義の指導者として熱狂的に迎えられました。

モデルの形体を幾何学的に解釈したデッサンを重視し、緻密に構成された階調やテクスチャーなどの特徴で知られ、数多くの傑作を送り出しました。

「グランド・オダリスク」に登場する背中を向けた女性は、胴が異常に長く
通常の人体の比例とは全く異なっているのがわかります。

同時代の批評家たちからは「この女の脊椎の数が普通の人間より3本多い」などと揶揄されたりしました。

アングルが「自然を忠実に模写することよりも、自分の美意識に沿って画面を構成すること」を重視していました。
こうした「復古的でアカデミックでありながら新しい」態度は、
同世代のダヴィットなどの他、近現代の画家にも影響を与えました。

【グランド・オダリスク】1814年 パリ ルーヴル美術館

 


【ヴァルパンソンの浴女】1808年 パリ ルーヴル美術館

 

フランソワ・ジェラール

フランソワ・ジェラール(1770年5月4日‐1837年1月11日)

ローマに生まれ、フランスのパリで修行した画家です。

12歳までローマにいたこともあり、ローマ古代彫刻やルネサンス芸術に親しんでいました。

1785年にサロンに出展されたジャック=ルイ・ダヴィットの「ホラティウス兄弟の誓い」
見て熱狂し、翌1786年にダヴィットに師事しました。

また父の死もあり一時的にローマに戻りますが、その後またパリへ戻ってダヴィットの工房で働きました。貧困が理由で芸術活動を中断しなければならないこともありました。

神話をテーマにした作品を制作することもありましたが、作品に特に多いのは肖像画です。

「アモルとプシュケ」
本作は別名「アモルの最初のキスを受けるプシュケ」と言われる作品です。
ギリシャ神話に描かれているアモルとプシュケを描いた作品です。

 

【レカミエ夫人の肖像】1805年

 

アントン=ラファエル・メングス

アントン=ラファエル・メングス(1728年3月12日‐1779年6月29日)

生まれはボヘミアで現在のチェコ
スペイン王カルロス3世の宮廷画家として有名で、当時とても高い評価を受けていた
新古典主義における先駆者の一人です。

父親はデンマーク生まれでザクソン王室の宮廷画家で、1741年から1744年の間、
父親とローマに住み、巨匠たちの作品を学びました。

画家として育てられ、早くからその才能を開花させていきました。
姉のテレーゼ、妹のユリアも画家となりました。

ドイツに戻り、17歳の時、ドレスデンで画家として雇われました。

主に肖像画家としての仕事をしていました。

1755年に美術史家のヨハン・ヨアヒム・ヴィンケルマンと知り合い、大きな影響を受けました。
メングスはロココ様式を離れ、新古典主義の先駆者の一人になりました。


【自画像】1774年 メトロポリタン美術館

 


【カルロス4世】1765年 プラド美術館

 

まとめ

今回は「新古典主義」について画家や作品についてお話してきました。

ダヴィットやアングル、メングスといった画家が誕生した時代の美術は、
非常に厳格で格式のある作品が多いように感じます。

次回は『ロマン主義』についてお話していきまます。

では今回はここまでにします。
またほかの記事でお会いしましょう!