こんばんは!絵描きの川原です。
アクリル絵の具で描いた作品
タイトル【CONTRAIL】
今回は【ロマン主義】についてお話していきます。
英語でいうと『ロマンティシズム』
夢見がちな傾向を一般的に呼びますが、芸術思潮としてのロマン主義は
同時代の『新古典主義』に反旗を翻した熱い闘いを意味しています。
ロマン主義は美術だけでなく、文学や音楽といった芸術全般に影響を与えました。
この時代はモーツァルトやベートーヴェン、ショパンなど
スーパースター揃いでした。
ロマン主義とは
『ロマンス』とは本来、古代ローマの公用語だったラテン語が
各国で方言化した『ロマンス語』で書かれた、中世の民族文学のことをいいます。
当時は騎士道恋愛物語が多かったため、恋愛小説を『ロマンス』と
呼ぶようになりました。
この時代に書かれた小説は恋愛ものが多かったようです。
つまり、『ロマン主義』という言葉には、古典文化に対する民衆文化という
意味も込められていました。
冷たく理知的で権力志向の新古典主義に対する
ロマン主義は当然、厚く感情的で庶民の味方。
ギリシャ独立戦争に命を捧げたイギリスの詩人バイロンや、
自ら銃を取り七月革命に参加したフランスの画家ドラクロワのように、
権力と戦う反体制運動としての一面も持っていました。
新古典主義が古代に普遍的理想を求め歴史画を重んじたのに対して、
ロマン主義は、東方の異教や夢と空想の世界に憧れ、個人的感情や
民族性を表に出して、時事問題も意欲的に描いています。
これは矛盾しているように見えますが、『今の現実を否定したい』
という同じ気持ちの現れです。
ロマン主義の絵画にも現実逃避的な性格がありました。
ナポレオン軍による市民虐殺を告発したスペインのゴヤを先駆けに、
フランスのジェリコーやドラクロワは現実に起きた悲劇を市民目線で描写しています。
イギリスのターナーは、同時代の風景や出来事を独自の色彩と光で描くことで、
印象主義を先取りしました。
一方イギリスではスイス生まれの画家フュースリが1780年代に夢の世界を描き、
詩人兼画家のブレイクも独自の幻想世界を表現しました。
ドイツのフリードリヒは荒涼とした風景に自身の精神世界を投影し、
ドラクロワは実際にモロッコなどを訪れ、アングルの理想化された『トルコ風』とは
異なるリアルな東方風俗を描いています。
安定した構図と滑らかな陰影にこだわる新古典主義に対し、
ロマン主義はダイナミックな構図や荒々しいタッチを積極的に採用しました。
思想的にも技法的にも近代絵画の幕を開く革命でした。
しかしロマン主義の現実逃避的な側面は後の写実主義で批判されます。
ロマン主義の画家たちと絵画作品
ジェリコー
テオドール・ジェリコー
1791年9月26日‐1824年1月26日
ロマン主義の先駆けと考えられるフランスの画家です。
ジェリコーは同じ時代に起きた悲劇を題材にした
『メドゥーズ号の筏』が代表作となっています。
【メドゥーズ号の筏】1818年‐1819年
この『メドゥーズ号の筏』という作品は、
フランス海軍のフリゲート艦メドゥーズ号が指揮官のミスで難破し、
モーリタニア沖で座礁してしまいました。
乗船員は急いで筏を作り、漂流しなければならなくなりました。
1816年に現実に起きた生々しい事件をもとに描かれました。
ジェリコーは馬の画家としても有名です。
【エプソムの競馬】1821年
この【エプソムの競馬】の絵を見てもらえればわかる方はわかりますが、
ジェリコーが描いた絵のように馬の脚は動かないです。
後にそのことが判明し、話題になったようです。
私は毎週末『中央競馬』をテレビ(たまに現地観戦)で見ているので、
この絵を初めて見たときは『障害飛越』かな?と思いました。
(しかし画面に描かれている馬は障害もない平地なのに全馬同時に飛越しているので面白いです。)
ドラクロワ
ウジェーヌ・ドラクロワ
1798年4月26日‐1863年8月13日
ロマン主義を代表するフランスの画家です。
ジェリコーに影響を受け、激しい色彩の絵画や荒々しい筆のタッチを目指しました。
ドラクロワの作品は当時のサロンでの評価は賛否両論でした。
ドラクロワも当時の事件、小説の一部などロマン主義らしい
絵画を描いています。
その中で有名な絵画は【民衆を導く自由の女神】ですね。
1830年に起きた7月革命を描いたドロクロワの傑作です。
【民衆を導く自由の女神】1830年 ルーヴル美術館
1822年4月11日よりギリシャ独立戦争中、ギリシャのキオス島にて
起きたトルコ軍の蛮行を描いた作品です。賛否両論だった問題作です。
【キオスの虐殺】1823年‐24年 ルーヴル美術館
東方趣味をモチーフに描かれた作品で、ドロクロワがアルジェリアの都市アルジェに行った際に
得た着想をもとに完成させ、サロンに出品した作品です。
画面右に黒人女性が描かれています。異国趣味を感じさせる作品として評判になりました。
【アルジェの女たち】1834年 ルーヴル美術館
ゴヤ
フランシスコ・デ・ゴヤ
1746年3月30日‐1828年4月16日
本名フランシスコ・ホセ・デ・ゴヤ・イ・ルシエンテス
ゴヤはバロック期のディエゴ・ベラスケスとともにスペイン最大の画家と言われています。
ゴヤが宮廷画家になったのは43歳と遅く、その後重病を患い聴力を失います。
風刺と戦争の惨状をスケッチした絵画作品が続きます。
風変わりで現実離れした作風で、晩年はロマン主義的な『黒い絵』を描いています。
夜陰に乗じた虐殺を告発した『報道絵画』の先駆けとなった作品です。
ナポレオン失脚後に公開。
事件当日、現場に駆けつけスケッチしたと噂されたほどです。
【1808年5月3日プリンシペ・ピオの丘での銃殺】1814年 プラド美術館
『黒い絵』の代表作である。
本作が描かれたのは77歳の時ですが、それ以前より17世紀にオランダの画家ルーベンスが
同じモチーフの【我が子を食らうサトゥルヌス】を描いています。
【我が子を食らうサトゥルヌス】1819年‐1823年 プラド美術館
ロココ風な肖像画
【日傘】1777年 プラド美術館
ターナー
ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー
(1775年4月23日‐1851年12月19日)
風景画で有名なターナーは、風景画家であるトーマス・マートンに弟子入りし、絵画を学びました。
この時代の作品でロマン主義的な光、大気、雲の劇的な表現を写実的に描いていました。
ターナーの描く絵画は、風景が主役ではなくあくまで人物やモチーフを引き立てるための背景部分でした。
ロマン主義以降、風景が主役になる【風景画】というジャンルが生まれます。
現実に見た光景をそのまま鮮やかな色彩と光で描き、その後の印象派に影響を与えました。
【海の漁師たち】1796年 テート・ブリテン
【解体のために最後の停泊地に曳かれてゆく戦艦テレメール号】
1839年 ナショナルギャラリー
フリードリヒ
カスパー・ダーヴィト・フリードリヒ
(1774年9月5日‐1840年5月7日)
スウェーデンの画家フリードリヒは、宗教的な意味を含む風景画家として知られています。
フリードリヒは主に風景画の作品を描いていますが、人物はほとんど画面には描写していません。
人物を描いていたとしても、こちらに背中を向けています。
ターナーのような激しさはなく、瞑想的な作品を描いています。
廃墟や荒野、氷海など死を感じさせる『悲劇的風景画』は、
日本の画家、東山魁夷にも影響を与えました。
【浜辺の僧侶】1808年‐1810年 ベルリン美術館
【樫の森の中の修道院】1809年‐1810年
【雲海の上の旅人】1818年頃 ハンブルク美術館
【氷の海】1824年頃 フォルクヴァンク美術館
まとめ
今回は『ロマン主義』についてお話してきました。
バロック期の絵画ほど画面全体は暗くはないですが、当時の事件や現実への不満などから
作家個人の表現が市民目線の『報道絵画』という図式が出来上がったのもこの頃なんですね!
ロマン主義の特徴をまとめると
・時事問題も意欲的に描いた
・東方の異境や夢と空想の世界に憧れた
・個人的感情や民族性を表現した
という感じです。
次回は『写実主義』についてお話していきます。
では次の記事でお会いしましょう!
前回の記事はこちら↓
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