アクリル絵の具で描いた作品

こんにちは絵描きの川原です。
今回は『真珠の首飾りの少女』や『牛乳を注ぐ女』など
身の回りの人物を描いた、謎多き画家フェルメールについてお話していきます。
フェルメールは日本で最も有名なバロック期の画家です。
フェルメールについて知りたい方は是非この記事を読んでみてください!
ヨハネス・フェルメールとは?

本名:ヤン・ファン・デル・メール・ファン・デルフト
生没年:1632年10月31日‐1675年12月15日
活躍した場所:オランダ デルフト
作風:バロック
代表作:真珠の耳飾りの少女
フェルメールは17世紀オランダのバロック絵画を代表する画家のひとりです。
記録に残っていることは少なく、謎多き画家。
現存しているフェルメールの作品だと言われているものは36点程で、(結論が出ていないものも含め)日記なども残っていないという謎だらけの人物なんです。
フェルメールの作品の特徴として、『青』をふんだんに使った作品や
室内を描いた作品は、ほぼ左上から差し込んだ直射日光の当たらない間接光で表現されています。
【地理学者】1669年 シュテーデル美術館
フェルメールはネーデルランド連邦共和国の都市デルフトで生まれました。
(現在のオランダ・ベルギー北部に存在した国家)
当時オランダでは経済的な隆盛が見られ、オランダ黄金時代と呼ばれています。
長く続いた平和な時代があります。
このような好条件化で、絵画という芸術が発展しました。
ですが、そんな平和な時代はやがて終わりイギリスやフランスとの戦争がはじまると、
美術市場の規模は縮小し仕事は無くなってしまいました。
フェルメールは多額の謝金の末、自己破産を申請します。
手元にあった作品全てを売り払ってしまいました。
なぜフェルメールが謎の多い画家というと、制作した作品点数が少ないうえに
非常に貴重性が高い美術品としても有名です。
貴重性が高いということは贋作、盗難、身代金の人質に利用されるなど
フェルメールの作品は他の画家の作品に比べ、圧倒的に多かったんですね。
またフェルメールは風俗画の画家としても有名です。
※風俗画とは庶民の何気ない日常のシーンを切り取った感じの絵です。
43歳で亡くなるまで長く故郷デルフトで過ごしました。
フェルメールの『黄金時代』
【真珠の耳飾りの少女】1665年 シュテーデル美術館 フランクフルト
フェルメールの父レイエニル・ヤンスゾーンは、シルクの織物職人と宿と居酒屋を経営しており、画家の為の商業団体である聖ルカ組合に美術商に登録していました。
フェルメール自身も画業だけでなく父から譲り受けた実家の家業経営にも携わっていて
大変裕福だったという妻の実家からも資金援助もありました。
当時のオランダ社会は、豊かで収入力がある都市の商人や法律家、学者、商人、実業家からなる裕福な中産階級も多くいたためフェルメール自身、顧客には困らなかったそうです。
古来から絵画を購入するのは聖職者や貴族・上流階級の人間がほとんどでした。
フェルメールの作品には『青』をふんだんに使った特徴的な美しさがあります。
青い絵の具『ウルトラマリンブルー』の原料といえば、ラピスラズリという宝石で
宝石と聞いただけで高価ですが、当時の純金と同等かそれよりも高価だったと言われています。
(天然のラピスラズリに含まれるウルトラマリンという顔料)
当時の原産国はアフガニスタンのみで産出されていました。
そんな美しい青は海路で遠路はるばるヨーロッパに輸入された為、
『海(マリン)を超えてきた(ウルトラ)青』という意味の【ウルトラマリンブルー】と
名付けられました。
ウルトラマリンは貴重でどの画家もここだ!というポイントでしか使用しない色でしたが、フェルメールはそんなのお構いなし。
高価な絵の具を多くの作品に余すことなく使用しています。

【牛乳を注ぐ女】1658年‐60年頃 アムステルダム国立美術館
フェルメールの絵に使用される鮮やかな青は『フェルメール・ブルー』と呼ばれ、
『青』を多くの作品に使用できたのも、フェルメールの生活が豊かでオランダ社会の富裕層に求められた証です。
レオナルド・ダ・ヴィンチのモナリザに対して『北のモナ・リザ』や『オランダのモナ・リザ』という風に言われたりもするそうです。
フェルメールの作品として有名な【画家のアトリエ】という絵もあり、
この絵は別名【絵画芸術の寓意】ともいいます。
※寓意とは他の物事にかこつけ、ほのめかして現した意味。
※寓意画:抽象的なことがらを具体化する表現技法のひとつ。意味としては比喩に近い。
【画家のアトリエ】1666年 美術史美術館 ウィーン
この【画家のアトリエ】という絵は、
シュルレアリストとして有名な画家サルバドール・ダリが
フェルメールを絶賛しており【イメージが消える】という絵の参考画になったと言われています。
【イメージが消える】1938年 ガラ=サルバドール・ダリ財団 スペイン フィゲラス
フェルメールが消えてベラスケスになる
私はサルバドール・ダリが大好きなのでほどほどにしておきます(^_^;)


『作品集』
『初期の物語画』
【取り持ち女】1656年 アルテ・マイスター絵画館
【聖プラクセディス】 1655年 国立西洋美術館
『風俗画』
【紳士とワインを飲む女】1658年 絵画館 ベルリン
【窓際で手紙を読む女】1659年 アルテ・マイスター美術館
【音楽の稽古】1662年 ロイヤル・コレクション バッキンガム宮殿
【真珠の首飾りの女】1663年-65年 絵画館 ベルリン
【ヴァージナルの前に立つ女】1673年‐75年 ナショナルギャラリー
まとめ
今回はバロック絵画いの巨匠のひとり『ヨハネス・フェルメール』についてお話してきました。
フェルメールは『青』を使い、やわらかい間接光で表現したりしました。
バロック期にはたくさんの巨匠たちがいました。
バロック絵画を代表する画家といえば、同じオランダのレンブラントやイタリアのカラヴァッジョ、
フランドルのルーベンス、スペインのベラスケスなど巨匠たちだらけだったんです。
カラヴァッジョは天才画家で、人を殺めて野垂れ死に、
レンブラントは破産して孤独死というキャラも濃い巨匠がいた時代でした。
今回はここまでにします。
次回はレンブラントについて話しています。
またほかの記事でお会いしましょう!
コメントを残す