アクリル絵の具で描いた作品
こんばんは絵描きの川原です。
今回は【レオナルド・ダ・ヴィンチ】について話していきます。
レオナルド・ダ・ヴィンチといえば
美術や絵画に興味のない方でも、一度は聞いたことがある画家の名前なのではないでしょうか。
盛期ルネサンスの三大巨匠の一人です。
一人はミケランジェロ・ブオナローティ
もう一人はラファエロ・サンティです。
美術史で最も有名な画家【レオナルド・ダ・ヴィンチ】が一体どんな画家だったのか解説していきます。
レオナルド・ダ・ヴィンチってどんな画家?
レオナルド・ダ・ヴィンチ
フルネーム・・・レオナルド・ディ・セル・ピエーロ・ダ・ヴィンチ
生年月日・・・1452年4月15日‐1519年5月2日
出身・・・フィレンツェ共和国ヴィンチ村
活躍した時代・・・盛期ルネサンス
レオナルド・ダ・ヴィンチはイタリアのルネサンス期を代表する芸術家です。
生まれはごく一般的な家庭で育ち両親も芸術家というわけではありませんでした。
【ダ・ヴィンチ】という苗字は、【ヴィンチ村出身】という意味でもあり、
レオナルド本人や知人から【ダ・ヴィンチ】や【ヴィンチ】を苗字として記した例があるんですね。
幼少期の記録はほとんどなく
平凡な家庭だったことが伺えます。
のちに【モナ・リザ】や【最後の晩餐】など数多くの名作を残しました。
ダ・ヴィンチと言えば【モナ・リザ】や【最後の晩餐】が有名ですよね。
しかしレオナルドが描いた作品は、約40点程しかなく、さらに彼が描いたと確定しているのは
10点程しかないんです。
また絵画や芸術の分野以外にも
博士学、科学者、天文学、気象学、地理学、物理学、光学、力学、空気力学、占星術師、音楽、建築、幾何学、解剖学、生理学、解剖学、美術解剖学、人体解剖学、動物解剖学
など様々な分野で功績を残したそうです。
のちに『万能人』というあだ名までつきました。
なぜこんなに様々な分野に興味を持っていたのかというと、
レオナルドの性格が、飽きっぽくあらゆる分野を研究する性格によるものなんです。
万能の天才として知られるダ・ヴィンチは当時最新技術であった
線遠近法(パースペクティヴ)を取り入れ描いていました。
それまでの絵画はシーンの状況を説明しているのが多かったんですね。
これに対し、ダ・ヴィンチの作品は、鑑賞者のいる空間とつながってみえる
その場にいるような臨場感のある絵画を描きました。
アンドレア・デル・ヴェロッキオに弟子入り
レオナルドが14歳の時に彫刻家であるアンドレア・デル・ヴェロッキオの運営する工房に入りました。
師匠のヴェロッキオの制作を手伝い、その中に天使の絵を1人描きました。
この逸話の元となったのは『キリストの洗礼』という作品です。
レオナルドが20歳の頃の絵で、師ヴェロッキオとの合作だと言われています。
これは有名な話ですが、レオナルドが描いた絵を見た師匠のヴェロッキオが、
そのずば抜けた才能に驚き、絵を描くとこを諦めてしまったんです。
描くことを辞めてしまったんですね。
この作品の左側に描かれた天使はレオナルドが描いたと言われていて、
それを見たヴェロッキオが自信を喪失し、画家の道を諦めてしまいました。
レオナルドはこの頃から多彩な才能を開花させ始めました。
レオナルド・ダ・ヴィンチ独立!
【東方三博士の礼拝】1481年 ウフィツィ美術館
1478年頃に独立し、最初の絵画作品がヴェオッキオ宮殿、サン・ベルドナルド礼拝堂の祭壇画でした。
3年後の1481年には修道院の修行僧から【東方三博士の礼拝】の作成依頼も受けていました。
しかし礼拝堂の祭壇画も東方三博士の礼拝も未完成のまま放置されてしまいました。
未完成作品は数多くあり、やはり飽きっぽい性格だったようで、
あの有名な『モナ・リザ』や『最後の晩餐』なども未完成であり、
完成した作品は生涯で10点ほどと言われています。
未完成の作品には、膨大な数の素描や航空機、潜水服、装甲車などの設計図のほか、
人体解剖図や動物、植物のデッサンなどがあったといいます。
この頃のレオナルドはミラノで宮廷画家として17年間活躍していました。
1499年フランス軍がミラノを占拠したころ、レオナルドはフィレンツェに戻ります。
そこで【聖アンナと聖母子】【モナ・リザ】を制作。
晩年の1513年からはヴァチカンに移りました。
当時のヴァチカンでは『ミケランジェロ』や『ラファエロ』も活躍していました。
亡くなるまでの3年間は、フランソワ1世の居城近くのクルーの館が邸宅として与えられ、
そこで晩年を過ごしました。
64歳頃までずっと続けていた『解剖学』や『科学』『哲学』の研究に没頭しながら
67歳でその生涯を終えます。
レオナルド・ダ・ヴィンチの代表作『モナ・リザ』とは
レオナルド・ダ・ヴィンチの絵画の中で最も有名な絵画です。
世界一有名で、存在する肖像画で最も広く知られているのではないでしょうか。
『空気遠近法』や『スフマート』と言われる技術が使われていました。
このモナリザは当時の多くの画家に影響を与えました。
この『モナ・リザ』の絵をめぐり、様々な事件にあってしまいます。
1911年にモナリザが盗難され、2年間もの間行方知らずとなってしまいました。
その盗難期間に6枚もの贋作が制作され、裏で売買されていたという説もあります。
レオナルド・ダ・ヴィンチの主な作品
【キリストの洗礼】1472年‐1475年 ウフィツィ美術館
ヴェロッキオとの合同作品で、レオナルドの最初の作品
弟子だった時代の作品として【受胎告知】があります。
【受胎告知】1475年‐1485年 ウフィツィ美術館
この作品は20歳頃に描かれたデビュー作で、完成している作品としては最初の作品です。
レオナルドが描いた作品はほとんどが未完成作品ばかりです。
完成度合いなどを巡って長い論争となり未完に終わった作品の1点が
『荒野のヒエロニムス』です。描き始めの時点で放棄された作品とも言われています。
【荒野のヒエロニムス】1480年頃 ヴァチカン宮殿
【岩窟の聖母】1483年‐1486年 ルーヴル美術館
不朽の祭壇画とされていますが、こちらも未完です。
【東方三博士の礼拝】1481年 ウフィツィ美術館
サン・ドナート・ア・スコペート修道院の注文により
修道院の中央祭壇画として作成された作品です。
こちらは未完のまま放置された作品です。
【最後の晩餐】1495年‐1498年 サンタ・マリア・デッレ・グラツィ修道院
有名な作品ですね。最も認知度が高く、かなり劣化が激しい絵画としても有名です。
この壁画は独自の手法で描かれたことにより急速な劣化を招いてしまったと言われています。
【モナ・リザ】1503年‐1507年 ルーヴル美術館
レオナルド・ダ・ヴィンチが描いた絵画の中で最も有名な作品です。
飾り気のない衣装で、謎に満ちた女性の微笑みが特徴です。
【聖アンナと聖母子】1510年頃 ルーヴル美術館
完成していたら史上最高のレオナルド・ダ・ヴィンチの傑作として
世に出ていたであろう作品で、晩年に制作された『未完』で『傑作』です。
【洗礼者ヨハネ】1514年頃 ルーヴル美術館
レオナルドが描いた最後の晩年作品とされている絵画です。
【モナ・リザ】【聖アンナと聖母子】【洗礼者ヨハネ】
この3作品を生涯手放さずに手元に残したといいます。
まとめ
今回は【レオナルド・ダ・ヴィンチ】についてお話してきました。
絵画に興味がない人でも、名前くらいは知ってるよ!というほど有名な画家ではないでしょうか。
残した作品は少ないですが、様々な分野での天才で活躍した画家でした。
今回はここまでにします。
またほかの記事でお会いしましょう!
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