ルーベンスとはどんな画家?巨匠にして外交官とその代表作について解説

 

 

アクリル絵の具で描いた作品

 

 

こんにちは絵描きの川原です。

今回はバロック時代の巨匠『ルーベンス』についてお話していきます。

ルーベンスはフランドルのバロック美術の巨匠です。
非常に多才な人物で、画家、経営者で外交官だったんです。

バロック絵画の代表的画家として、多くの作品を残している『ルーベンス』

そんな多彩なルーベンスについて解説していきます。

 

 

ルーベンスってどんな画家?

本名:ピーテル・パウル・ルーベンス

生没年:1577年6月28日‐1640年5月30日

出身地:ジーゲン (現ドイツ)

作風:バロック

仕事:宮廷画家、外交官、経営者

 

ルーベンスは、ドイツのウエストファーレンの町ジーゲンに生まれました。
10歳の時の父が亡くなり、それと同時に母の実家があるベルギーのアントウェルペンに引っ越します。

 

アントウェルペンでは人文主義教育を受け、古典文学とラテン語を学びます。
そこでさまざまな画家に師事し、修行しました。

 

23歳の時イタリアへ渡ります。
古典美術や新しいバロック表現を学び、マントヴァ公のもとで働いた後、
ネーデルランド総督のアルブレヒト大公夫妻の『宮廷画家』として活躍します。

 

当時、ルーベンスは画家として非常に有名で劇的な感情表現と豊かな色彩によって一世を風靡し、その名声はヨーロッパ中に広がりました。
イギリス、フランス、スペインなど多くの国の要人から制作依頼が殺到していました。
そのため王や貴族からの制作依頼で忙しく、アトリエでは多くの弟子と助手が支えていました。

 

ルーベンスは画家としての地位がとても高く『王たちの画家にして画家の王』と呼ばれることがありました。

 

 

画家であり、外交官でもあった

【ルーベンスとイザベラ・ブラントの肖像】1609年‐1610年 アルテ・ピナコテーク

 

ルーベンスはスペインの大公妃イザベルの登用を受け、外交官としても活躍しました。
イザベルとの信頼関係は深く、ルーベンスは画家としてのみならず特使や外交官の役割も果たすようになりました。

 

数か国語を話せただけでなく、高い教養も持ち外交官としての腕もかなりのものでした。

 

ヨーロッパの宮廷で非常に影響力のある人物で、数多くの王や貴族と親しく
スペインのフェリペ4世やイングランドのチャールズ1世も含まれていました。

 

外交官の仕事をしていると、そのついでに依頼を貰ったり王家が所有するコレクションを
観る機会を得るなど様々な作品に触れ、常に新しいアイデアと技巧を追及しました。

 

後にレンブラントの弟子であるヴァン・ダイクは、チャールズ1世の宮廷画家となり、
イギリスにバロック絵画を伝導しました。

 

 

大規模な工房システム

【ライオンの穴の中のダニエル】1615年 ナショナルギャラリー

 

『画家』といえば作品の構想から仕上げまで、全て一人こなすイメージがあります。
しかし当時の画家の多くは『工房』を経営し、チーム一体で制作していました。

 

アウトウェルペンに構えていた工房では、100人の弟子を抱えていました。

 

工房の分担は、親方が構図決めや主役の顔部分、下絵を描いて色彩の指示を出した後に、
それ以外の部分を多くの弟子が描くシステムをとることで大量の制作依頼に応えました。

 

温厚な人柄だったルーベンスは、フランドルだけでなくスペイン、フランス、イタリアなど
各国の王や貴族から愛され、ルーベンスの工房には肖像画のほかに教会から宗教画の制作など大量の注文が殺到しました。

 

実際にルーベンスが制作にどのくらい携わったかによって、絵の値段が大きく変わったようです。

 

特徴として鮮やかな色彩と非常に巧みなタッチが挙げられます。
色彩感覚と人物描写の技術、特に肌の表現は非常に美しく、感情表現力で世界を魅了しました。

 

 

 

代表作『レウキッポスの娘たちの略奪』

【レウキッポスの娘たちの略奪】
1616年‐1618年頃 アルテ・ピナコテーク

 

この作品はギリシャ神話をもとに描かれた作品になります。

 

主神ゼウスとスパルタ王妃レダとの間に生まれた双子の息子ディオスクロイ(カストルとポリュデウケス)がレウキッポスの娘をさらうというギリシャ神話のワンシーンです。

 

この絵には、複雑で動きのある要素が多く混ざっています。
馬、人間、なびく髪や服などダイナミックな構成はティントレットというヴェネツィア派の画家影響を受けていると言われています。

 

ディオスクロイが娘たちを攫う(さらう)ために馬の手綱から手を放していますが、
2人のキューピッドが代わりに手綱を握り、馬をコントロールしているのがわかります。
そのうちの1人は鑑賞者側に視線を向けています。

 

 

ルーベンスは宗教画、神話画、肖像画など多くのジャンルの依頼を受けていました。

 

 

 

 

作品集

 


【レルマ公騎乗像】1603年 プラド美術館

 

 

 

 

【パトロンの墜落】1604年‐1605年 ナショナルギャラリー

 

 

 

 


【聖ゲオルギウスと竜】1606年‐1608年 プラド美術館 

 

 

 

【東方三博士の礼拝】1609年 プラド美術館

 

 

 


【イザベル・クララ・エウヘニア王女】1615年 美術史美術館

 

 

 

 


【アダムとイヴ】1628年 プラド美術館

 

 

 

 

まとめ

 

今回はバロック期の巨匠ルーベンスについてお話してきました。

ルーベンスは画家としての技術も高く、数々の優れた作品を生み出しました。
また外交官として活躍するなど才能にあふれた画家でした。

100人の弟子を抱えた工房の経営など忙しい生涯を送っていました。

では今回はここまでにします。
次回はバロックで有名な「ベラスケス」についてお話していきます。

それではまた!