こんばんは!画家の川原です。
アクリル絵の具で描いた作品
今回は「印象派って?」についてお話していきます。
絵のことが全くわからない人だと、印象に残る絵のことか?
みたい感じになってしまうのではないでしょうか?
確かに印象に残る絵も存在します。
ここでは印象派の歴史や絵画についてお話していきます。
印象派とは
印象派
19世紀後半にフランスに発した絵画を中心とした芸術運動です。
自然をリアルに描く描き方に対し、反発してその瞬間を見たままに印象を描きとめる作風をとりました。
戸外でデッサンすることが多く、自然の風景画が多いのが特徴になります。
代表する画家はクロード・モネ、ピエール=オーギュスト・ルノワールです。
印象主義
これまでの印象派は、画家が見たままの印象を感じたまま描きとめる画風でしたが、
象徴主義は、画家の内面にあるものを作品に投影して描く画風を言います。
代表する画家はオディロン=ルドンやグスタフ・クリムトです。
印象派の歴史
印象派という言葉が広がったのは、1874年、モネ、ピサロ、シスレー、ルノワールら若い画家たちがサロン(官展)に対抗して「第1回芸術家共同出資社展」(後の印象派展)を開催。
ここにモネが出品した「印象・日の出」から、彼らは印象派と名付けられ、
彼らが目指す新しい絵画の方向性を印象主義と呼ぶようになったのです。
印象派の絵画の特徴としては、小さく薄い場合であっても、目に見える筆のストロークや
戸外制作、時間と空間による光の質の変化の正確な描写、描く対象の日常性
人間の知覚や体験に欠かせない要素としての動き、斬新な描画アングルなどがあげられます。
印象派の画家たち
マネ
エドゥアール・マネ
1832年1月23日~1883年4月30日
19世紀パリのモダニズムな生活風景を描いた最初のフランスの画家。
写実主義から印象派への意向を促した重要人物で、近代美術の創始者とみなされています。
マネの絵画は、印象派を創始する若い画家たちに多大な影響を与えました。
モネ
オスカー・クロード・モネ
1840年11月14日~1926年12月5日
クロード・モネはフランスの画家です。
それまでの伝統的な風景画、古典性、理想的な美などから逸脱して、
近代性や自身の感覚をそのままに表現するという基本的な印象派哲学を一貫して実践しました。
光の変化と季節の移り変わりを捉えるために、時間帯や視点を変えて何度も同じ風景を描く方法を確率させました。
モネと日本の関係は深く、浮世絵を200以上取集し自宅に日本風の橋をかけるなどした日本通で、
「睡蓮」シリーズは、日本美術に強く影響を受けているといわれています。
ルノワール
ピエール=オーギュスト・ルノアール
1841年2月25日~1919年12月3日
ルノワールも印象派を代表するフランスの画家です。
主に人物画を描いていました。作品は全般的に明るい雰囲気で柔らかく淡い印象が特徴です。
1880年頃から、これまでの印象派という技法に疑問を持ち始めたルノワールは、イタリア旅行で
ラファエロ・サンティらの古典絵画に触れ、徐々に画風が変化していきました。
ドガ
イレール=ジェルマン=エドガー・ド・ガス
1834年7月19日~1917年9月27日
印象派の中でも、最も強く古典主義の系譜を受け継いでいるフランスの画家です。
ドガは、バレエを主題とした作品でよう知られており、作品の半分以上はバレエの絵だったと言われています。
裕福な家庭の出身であったドガは、バレエを好み、オペラ座の楽屋や練習風景・舞台袖といった一般人では出入りできない場所を描いた絵画を多く制作しました。
印象派の絵画
「草上の昼食」
作者 エドゥアール・マネ
制作年 1862年~1863年
所蔵 オルセー美術館
「草上の昼食」は1863年のサロンに出品されましたが、一般の女性が裸体になっていたことを批判され、落選してしまいます。当時の絵画のお約束を完全に無視した作品だったからです。
その問題はこちらを見ている裸の女性です。
当時のキリスト教社会では、裸婦画は欲情を煽るものとしてタブーとされてきました。
それまでも有名な画家の作品でもヌードを描いたものはたくさん存在しました。
実際1863年のサロンでも裸婦を描いたのも人気があり、数多くの作品が出品されています。
これらの作品が批判ではなく賞賛の対象として認められていたのは、
モチーフが人間の女性ではなく女神だったからです。
当時、絵を描く場合「裸婦は神話の女神ではなくてはならない」という約束事があったのです。
「草上の昼食」をよく見てみると女性の左下には脱ぎ捨てられた服があることから、
この女性は現実の女性であり、娼婦を描いたものであることがわかります。
正当な芸術であることを何よりも大事にするサロンで展示したことは
当時のパリの知識人たちの怒りを買うことになりました。
「印象・日の出」
作者 クロード・モネ
制作年 1872年
所蔵 マルモッタン・モネ美術館
「印象・日の出」は「印象派」という名前を生み出したモネの作品です。
描かれた場所はモネの故郷、港町ル・アーヴル。
港から見える部屋の窓から、霧の中を昇ってくる真っ赤な太陽と、それを写す波打つ海を描いています。
特徴は、水平線をあえて高めに設定していることで光が反射する水面を大きくとらえています。
この作品には、大胆な色彩と平面的な筆致による筆触分割が見られる作品です。
船や人物、波模様はすばやい筆致で簡略に描き上げられ、青い空に朝陽が照らす光景は色彩が限定されています。
「ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会」
作者 オーギュスト・ルノワール
制作年 1876年
所蔵 オルセー美術館
1877年開催の第3回印象派展に出費された「ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会」
印象派の絵の中でも有名な作品のひとつです。
舞台はモンマルトルの丘にある同名のダンスホールです。
当時近くに住んでいたルノワールは、ここへ通い作品を制作していました。
絵の中の人々はルノワールの友人やお気に入りのモデルたちで、
木漏れ日の下で休日を楽しむ男女が、印象派のタッチで的確に表現されています。
この作品は印象派のメンバー、カイユポットの死後、フランス政府に寄贈されました。
「舞台の踊り子」
作者 イレール=ジェルマン=エドガー・ド・ガス
制作年 1876年
所蔵 オルセー美術館
バレリーナが両手を広げて、優雅に踊る一瞬の光と動きを捉えた作品。
一瞬の身のこなしや表情を、写真で切り取るように、軽やかに表現しています。
左側に顔の見えない黒服の紳士は、当時バレリーナを支援していたパトロンです。
バレエ自体は今日では芸術として大衆に認められるものですが、当時のフランスにおいて、
バレエの踊り子は身分の低い人が生活していくための手段であり、世間的にも侮辱されるような職業でした。
バレエの踊り子だけでの収入ではとうてい生活していけるはずもなく、多くの踊り子は裕福な男性にパトロンに
なってもらうことを望み、その関係性は、娼婦と客というようなもでした。
一見華やかなバレエの舞台も、実は背景にはそのような事情があったという当時の風情を、
舞台上でスポットライトに照らされて艶やかに舞う踊り子と、背後には薄暗い緞帳の中に半身で佇む男性や顔の見えない
踊り子たちを描くことによって表現しています。
まとめ
今回は印象派の歴史や画家、作品について解説してきました。
印象派の他にも新古典主義、ロマン主義、写実主義、ポスト印象主義、バルビソン派、ナビ派
象徴主義などがあり、その時代の画家たちの描く絵は、民衆が求めるものであったり、
それに反していたりしてましたが、時が経つにつれ受け入れられてきました。
絵を見て、時代背景などに合わせると結構面白かったり、楽しかったりします。
では今回はここまでにします。
次回はポスト印象派についてお話していきます。
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