【ゴシック美術】有名な建築や絵を三次元化した画家について解説します。

こんにちは!絵描きの川原です。

アクリル絵の具で描いた作品

 

今回はゴシック美術についてお話していきます。

みなさんはゴシックと聞いて何を思い浮かべますか?

ゴスロリ(ゴシック・ローリータ)ファッションでもおなじみのゴシックです。

それではゴシック美術のついてお話していきます。

ゴシックの美術について


ゴシック美術とは
12世紀半ばからフランスで生まれた美術様式です。

『ゴート(ゲルマン系民族)風』という意味で、元々はルネサンス期のイタリア人が
中世末期にフランスやドイツで生まれた建築を見下して呼ぶ蔑称でした。

フランス発祥のゴシック美術は、
北フランスやドイツなどのヨーロッパの北部を中心に広がりました。

高い塔やステンドグラスが用いられたゴシック建築による大聖堂にはゴシック美術の特徴が見られます。

 

ゴシック美術の代表的な建築


初期の代表作はサン・ドニ大聖堂とパリのノートルダム大聖堂です。

サン・ドニ大聖堂

サン・ド大聖堂は建築学的にも画期的な建物です。
世界初のゴシック建築として知られ、歴代フランス王家の墓所として
さまざまな墓碑彫刻が安置されています。

ルイ6世の学友でもあった修道院長シュジュールによって1136年に着工
1144年6月に献堂されたゴシック建築です。

初めてこの大聖堂を見る方は、これが建築当時からあるサン・ドニ大聖堂なんだなと思いがちですが
実は違うんです。

ではなぜこのサン・ドニ大聖堂が向かって右の塔しかないのか
左の塔は何処へ行ってしまったのか、その理由は1837年に落雷が直撃し、
さらに3年後の嵐で損傷したため解体されてしましました。

 

 

ノートルダム大聖堂

1163年に着工し、約200年もの歳月を経て1345年に完成したゴシック建築の最高傑作です。

「ノートルダム」という名前は『我らの貴婦人』という意味で、
この言葉はキリスト教の聖母マリアを指しています。

その名を冠したノートルダム聖堂とは、聖母マリアに捧げられた名称です。

塔も建物も細く長く、高さを支えるフライング・バットレス『飛び梁』がむき出しになり、
荷重が軽くなった壁にはステンドグラスが並び、建物全体が聖人や怪物の彫刻で飾られていて
まるで石造りの『聖なる森』を感じさせます。

クリスマス・ツリーは古代ゲルマンの神木信仰がキリスト教化したものだと言われています。

その伝でいうとゴシックの教会建設は、ゲルマン人の「森の文化」
古代ギリシャ・ローマの「石の文化」のキリスト教による統合といえるでしょう。

パリ・ノートルダム大聖堂

ランス大聖堂

シャルトル大聖堂やアミアン大聖堂と並び、フランス国内におけるゴシック様式の傑作の一つと言われています。

ロマネスク期の建築が田舎にあり、堅牢で禁欲的で屋根が低いのが特徴でした。
これに対しゴシック期の建築は都会的で、洗練され煌びやか、高い塔が特徴です。

ゴシック期の建築にはフライングバットレス『飛び梁』という新工法が使われています。
これは建物外部に柱を追い出し、細長いアーチ上の梁と薄い壁で建物を自立される工法でした。

それまでのロマネスク期の建築では、分厚い石の壁が建物を支えていたため、
窓は小さく、建物の高さも低かったんです。

このフライングバットレスのおかげで、30メートルを超える高さの天井とその内部空間
強度負担が軽くなった壁に設けられた『薔薇窓』『尖頭窓』を飾るステンドグラスなどもゴシック美術の大切な要素といえるでしょう。

教会内部は巨大な窓にはめこまれたステンドグラス
放射状に広がるデザインのステンドグラスを一般的に『薔薇窓』といいます。

ステンドグラスの黒い線の部分には、熱膨張の少ない鉛が使用されていて
ガラスには、様々な色ガラスが使われました。

 

 

 

西欧独自の絵画


12世紀後半から始まるゴシック期には、絵画も大きく進化しました。

それまでのフレスコ壁画に加えてテンペラ画の板絵も盛んに描かれ、古代ローマやビザンティンとは異なる西欧独自の表現が発展します。

時期や地域、作者による違いを無視してゴシック絵画の特徴を紹介します。

①細長いプロポーション
②しっとりとした神秘性
③地獄や怪物好きなホラー趣味

ここでもゲルマン的な『森感覚』がポイントになります。
この画風は、ゴシック以後もアルプス以北の絵画にたびたび顔を出します。

一方イタリアでは、13世紀末からドゥッチョジョットチマブーエが登場します。

中世ビザンティン風の類型表現から古代ギリシャ・ローマ風のリアルな肉体表現への
回帰や、より立体的な奥行きを出す遠近法を模索し、ルネサンスの道を拓きました。

 

【聖母子像の変遷】

ゴシック期イタリア三巨匠の聖母子像を時代で追うと、よりリアルで奥行きのある表現と発展していく過程がよくわかります。

チマブーエ【荘厳の聖母(マエスタ)】1280年~90年頃テンペラ
フィレンツェ、ウフィツィ美術館

ジョットの師とされるチマブーエ。
リアルさより威厳を重視したビザンティン風の平面的な表現です。


ドゥッチョ【玉座の聖母子と6人の天使(ルチェライの聖母)】1285年頃テンペラ
フィレンツェ、ウフィツィ美術館

同じ時代でもシエナ派の祖ドゥッチョは、
服の襞(ひだ)などの陰影表現がリアルに自然な感じです。

ジョット【荘厳の聖母(オニサンティの聖母)】1310年頃テンペラ
フィレンツェ、ウフィツィ美術館

リアルさも奥行き感も格段に進歩しています。
ビザティンのイコンとは異なる生身の肉体性が感じられます。

 

絵画を『三次元化』にした偉人

ジョット・ディ・ボンドーネ(1267年頃~1337年1月8日)
中世後期のイタリア人画家、建築家。

西洋絵画が他の文化圏と大きく違うのは、
二次元の平面三次元の空間表現しようとしたことです。
それを実現した発明が【遠近法】です。

全ての発明は長い積み重ねの結果であり、
一人の天才が【無】から創造するわけではないのです。

ゴシック・黎明期ルネサンス期に活躍した芸術家で、
ジョットの同時代で歴史家、銀行家であるジョヴァンニ・ヴィラーニ
ジョットを『最も君臨的な絵画の巨匠であり、自然に沿った人物やポーズを描いた』
評価していて、彼の『才能と卓越性』は公に認められ、記録されています。

詩聖ダンテと同じ時代にフィレンツェ郊外の農家に生まれたジョットは、
羊飼いをしながら岩に描いた絵を大画家チマブーエに見出されて即スカウトされました。

いたずらで描いた蠅の絵を師匠が本物だと思って追い払おうとしたなど、
天才ぶりを物語る逸話に事欠きません。

実際、先ほど紹介した聖母子像が物語るように、ジョットの三次元表現は、
遠近法的にも陰影法的にも師チマブーエのビザンティン風の平面的な表現とは、次元が違います。

アッシジやパトヴァの聖堂に多数の壁画を描き、フィレンツェ大聖堂の鐘楼(しょうろう)も設計しました。西洋絵画は新たなステージの幕を開き、ルネサンスの準備を整えました。


ジョット【最後の審判】[地獄部分]1306年

 

臨場感溢れる「空間」を描いた偉人


マサッチョ
本名トンマーゾ・ディ・セル・ジョヴァンニ・ディ・モーネ・カッサーイ
(1401年12月21日~1428年)

イタリア人画家

ジョットが開花させた「三次元絵画」は百数十年後のフィレンツェで豊かな実りの時期を迎えます。

このフラ・アンジェリコの【受胎告知】を見てください。

柱が次第に短くなる線遠近法構図と、色彩や濃淡による陰影表現が、
ゴシック絵画とは比べ物にならない奥行きを感じさせます。

15世紀前半のフィレンツェで活躍した初期ルネサンスの画家で、
三次元表現という点で見逃せない才能が、もう一人。
27歳で夭逝したマサッチョです。

彼が画期的だったのは背景と前景を分けずに、連続した空間として描いた点です。

【貢の銭】では遠景の山から手前の人物群像までが川のうねりで、

 

【自らの影で病人を癒す聖ペテロ】では
道の奥から手前までが線遠近法的に描かれた建物の壁で、
境目がなくつながっていてダイナミックな奥行き感を生み出しています。

若くしてこの世を去った彼が残した数少ない作品はフィレンツェのすべての画家のお手本になりました。

マニエリスム期の画家で巨匠たちの評伝を書いたヴァザーリはこう伝えています。
「奥深い空間表現と自然な感情表現で、絵画に生き生きとした臨場感をもたらしたマサッチョ。」

ルネサンス絵画を語るうえで、覚えておきたい名前ですね。

 

まとめ

今回はゴシック美術についてお話してきました。

この時代の巨大な聖堂やステンドグラスは今から800年も前に建てられていたんですね。

またジョットやマサッチョの登場のおかげで、絵画はものすごく進化しました。
絵画時代の幕開けとなったわけです。

ゴシック期をまとめると

・圧倒的なスケールの大聖堂と色鮮やかなステンドグラス
・平面的な絵から三次元を表現する【遠近法】
・ジョットが開花させた三次元絵画

という感じですね。

次回は初期フランドル派について
お話していきます。

それではまた次の記事でお会いしましょう!

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