【ロココ美術】その特徴と 画家たち作品をわかりやすく解説します

こんにちは!絵描きの川原です。

アクリル絵の具で描いた作品

 

今回はロココ美術についてお話していきます。

ロココは、日本人でもイメージしやすい様式です。
「猫足家具」のインテリアや「ベルサイユのばら」の世界だと思っていただけたら、わかりやすいかなと思います。

ロココ美術はとても優雅で軽やか。よくいえば、バロックがより繊細かつ装飾的になった様式です。

 

ロココ美術とは?どんなものだったの?

ロココ美術は18世紀初頭のフランスで生まれ、ヨーロッパ中に広がりました。
当時の世相を反映した、美術の歴史の流れの中で最も優雅で美しい華のある美術様式として世間に認知されています。
しかしロココ時代が終わった19世紀には軽視されていました。

この「ロココ」という名称を付けたのは新古典主義のダヴィットという画家です。

この時代に扱われたものは、ほとんどバロック時代のものと変わりませんでした。

ちなみに「ロココ」はバロック期の庭園に多い小石や貝殻を固めて作った人工洞窟「ロカイユ」
由来します。

つまり、ちまちまごちゃごちゃした様式という意味で、古くは否定的に使われました。

では実際にどんな画家がいて、どのような作品が作られていたのか早速見ていきましょう!

 

アントワーヌ・ヴァトー

アントワーヌ・ヴァトー(1684年10月10日‐1721年7月18日)

ロココ絵画のジャンル『雅宴画(がえんが)』フェート・ギャラントを確立したことでも知られる、ロココ様式を代表する画家です。
パリでは、ノートル・ダム橋にあった複製画の製造業者のもとで、
宗教画や風俗画のコピーを手がけました。

雅(ギャラント)な宴(フェート)の画

パリの画家であるクロード・ジロの弟子となり作品に影響を受けたとされています。
クロード・ジロは画家、版画家、舞台芸術家でイタリア喜劇の舞台を主題に作品を描きました。
ジロはよくヴァトーを喜劇に連れて行ったそうです。
このことがヴァトーの雅宴画(フェート・ギャラント)というジャンルを生み出しました。

この当時、フェート・ギャラントは一般的なジャンルになっていました。
ですがヴァトーにかなう画家はいませんでした。

ヴァトーの代表作『シテール島の巡礼』(雅やかな宴)

シテール島は伴侶が見つかる愛の島として知られていました。今の時代でいうと合コンですね。
若い男女の貴族が遠出して、良縁と愛の成就を祈願し、宴を繰り広げています。
衣装の華やかさや優雅さ、複雑ですが均整のとれた色使いなど雅宴画の名にふさわしい作品です。

当初は『シテール島の巡礼』という名称でしたが、後に『雅やかな宴』と変更されたことが知られています。


【ピエロ(ジル)】1718年~1719年頃

 

【愛の祝祭】1718年~1719年頃

 

フランソワ・ブーシェ

フランソワ・ブーシェ(1703年9月29日‐1770年5月30日)

フランソワ・ブーシェはロココを代表する画家の一人です。
上流社会の肖像画や神話画などを主に描いていました。

新古典主義の代表的画家『ジャック=ルイ・ダヴィット』は従兄弟の息子です。

ブーシェは生涯に描いた作品数が多いことで有名です。
絵画は1千点以上、版画で200点、素描は1万点にも及び、
絵画だけでなく壁画、装飾、陶器やタペストリーのデザインまで手がけました。

父の影響で、幼い頃から美術界に興味を持ち、画家フランソワ・ルモワールのもとで修行をしました。
1728年にイタリア旅行で絵画修行もし、イタリアの画家の影響も受けるようになります。

人気の画家になると「工房」を構えます。
弟子に下描きをさせたりと役割分担をして絵画制作をする画家も多いです。

画家ピーテル・パウル・ルーベンスは大規模な工房を構えて、弟子たちと共に作品を大量生産していました。
ですがフランソワ・ブーシェは全工程を一人で制作していました。

また人物画における肌の透明感、美しい女性像、バラ色の美しい肌の描写などは誰が見ても美しいと感じる作品です。

『ソファに横たわる裸婦』または『黄金のオダリスク』ケルン版

 

 ミュンヘン版

フランソワ・ブーシェによる2枚の絵画の題名です。

ブーシェのモデルとして働き、ルイ15世の愛人ともなったアイルランド人兵士の娘
マリー=ルイーズ・オミュルフィの肖像画として描かれています。

1751年のケルン版の制作当時、オミュルフィは12歳でした。
1752年、ミュンヘン版が描かれました。

 

【ポンパドゥール夫人】(1759年)

 

ジャン・オノレ・フラゴナール

ジャン・オノレ・フラゴナール(1732年4月5日‐1806年8月22日)

フラゴナールはロココ美術が最盛期の頃に活躍し、18世紀後半のフランスを代表する画家です。

1738年、家族とともにパリを出て、同じロココ時代に短期間ではありましたが
活躍した巨匠シャルダンとブーシェから絵を学びました。

特にブーシェからの影響があり、多くの作品に顕著に現れています。

フランス・ロココ美術の典型的な画家であるとともに、時代の変化の中でロココ時代の最後を飾った画家でもあります。

フラゴナールが画家としての絶頂期に描かれた有名な絵画「ぶらんこ」

【ぶらんこ】1767年

左下の貴族の青年が少女のスカートの中を覗いています。
当時、「スカートの中を覗く青年」というモチーフはよく描かれたそうです。
本作は、自由な恋愛を楽しむ当時の風潮を完成度高く、
また上品にまとめた一作として評価されています。
ちなみに左下にいる青年がこの絵画を制作依頼したようです。

 

【シーソー】(1750年~1755年)

【恋人の戴冠】(1754年~1755年)

【盗まれた接吻】1787年

 

まとめ


今回はロココ様式についてわかりやすくお話してきました。

この時代の作品たちは色使いが柔らかく、きれいで優しい感じの作品が多いです。

ヴァトーは屋外が舞台『雅宴画』でより繊細かつおしゃれな画風で描いた絵画です。
ブーシェやフラゴナールは、室内が舞台『閨房画(けいぼうが)(寝室)』でも活躍しました。

では今回はここまでにします。
またほかの記事でお会いしましょう!

新古典主義とは?その歴史と画家たち、作品をわかりやすく解説します