【ポスト印象派】近代と現代をつなぐ20世紀絵画の源流について解説

こんにちは!絵描きの川原です。

 

アクリル絵の具で描いた作品


     タイトル【CONTRAIL】

 

西洋美術史の記事を書いて今回で15回目になります。全24回を予定しております。

 

さて今回は【ポスト印象派】についてお話していきます。

印象派の画家の名前を聞くと知っている名前もありますが、
ポスト印象派の画家がとにかく有名です。

ゴッホやゴーギャンはよく「印象派」で紹介されたりしますが、
実際は【ポスト印象派】の画家なんですね!

 

印象派の記事はこちら↓

印象派って何?その歴史と画家たち、作品をわかりやすく解説します。

 

 

それでは詳しく解説していきます。

ポスト印象派とは

 

「無名芸術家協会展」として始まった印象派展は、1886年の第8回をもって終了しました。
その後1880年代後半から90年代にかけて、フランスを中心として新たに興った
絵画的な展開を『ポスト印象派』と総称します。

 

この呼称はかつて日本に紹介された際、『後期印象派』と訳されていましたが、
正しくは『後印象派』といいます。

印象派運動の後期という意味ではなく、ポスト印象派の特定の思想や集団があったわけではありません。

 

ゴーギャン、ゴッホ、セザンヌの3人に限りポスト印象派と呼ぶべきとする意見もあります。
彼らに共通するのは、印象派と20世紀絵画を結ぶ橋渡し役を務めたことにあります。

 

つまりポスト印象派を押さえておけば、現代美術の流れがわかるわけです。

 

スーラやシニャックは、「新印象派」と呼ばれます。
印象派の「筆触分割」を色彩理論に基づいてさらに発展させ、
カラー印刷と同じ原理で細かい原色の点を並べて多彩な色をクリアに表現する『点描』技法を確立しました。

 

ゴーギャン


ウジェーヌ・アンリ・ポール・ゴーギャン
1848年6月7日‐1903年5月8日

ゴーギャンは船乗りやフランス海軍に入隊しその後、株式仲買人を経て画家になりました。
浮世絵の極彩色と平面的な表現をヒントに、単純な輪郭線で仕切ったベタ塗の色面で
構成する『クロワゾニズム(仕切り主義)』を推進しました。

 


【説教の後の幻影『ヤコブと天使の闘い』】1888年 スコットランド国立美術館

 

 

古典的西洋絵画の二大要素である遠近法と陰影法から完全に脱却し、
アール・ヌーヴォやフォーヴィスムへの道を拓きます。

 

 


【ひまわりを描くゴッホ】1888年 セントルイス美術館

 

民族文化(フォークロア)への関心でも時代を先取りしました。
ケルト文化が残るフランス北西端ブルターニュ地方のポンタヴェン村に滞在し、
ベルナーニドニ「ポン=ダヴェン派」の仲間と共に土俗的な風習を
「クロワゾニズム」で描写しました。

さらにゴッホの招きで南フランス、アルルに滞在後1891年にタヒチに渡りました。

ゴーギャンはゴッホと共同生活を送った画家として知られています。

 


【マハナ・ノ・アトゥア(紙の日)】1894年 シカゴ美術館

 

 

ゴッホ


フィンセント・ファン・ゴッホ
1853年3月30日‐1890年7月29日

オランダのポスト印象派の画家で、西洋美術史において最も有名な芸術家のひとりと
言われています。

幼い頃から繊細な性格で、親の勧めで就職したものの失恋からうつ病を発症しました。
そこからゴッホが亡くなるまで精神障害を患い続けました。

ゴッホはゴーギャンと共同生活をしていましたが、次第に2人の関係は行き詰まり
ゴッホの「耳切り事件」で共同生活は破綻しました。
それ以降、てんかんや精神障害の発作に苦しみながらアルルの病院に入退院を繰り返しました。

 


【タンギー爺さんの肖像】1887年 パリ ロダン美術館

 

ゴッホは生涯でおよそ2100点以上の作品を描いています。
その作品の大半が精神病を患い入退院を繰り返し亡くなるまでの約2年間に制作されており、
晩年には1日に1、2枚と凄まじいスピードで描いたといわれています。

 


【耳を切った自画像】1889年

 

ゴッホがアルルに行ったのも、浮世絵の極彩色に魅せられ、明るい陽光を求めたからです。
激しくも傷つきやすい気性がむき出しになった厚塗りのうねるタッチは表現主義の先駆けでした。

 


【おいらん(栄泉を模して)】1887年 ゴッホ美術館

 

セザンヌ


ポール・セザンヌ

1839年1月19日‐1906年10月23日

セザンヌはモネやルノワールらとともに印象派の立ち上げに参加し活動していました。
次第に光や流行の移ろいを追うおしゃれなノリについていけず、より普遍的な表現を求め
故郷である南フランスのプロヴァンスに帰郷しました。


【女性大水浴図】1898年‐1905年 フィラデルフィア美術館

 

晩年は多くの若手芸術家に慕われ、対象を球や三角錐といった単純な幾何学形態に分解して捉えたこと上で再構築することで、対象の確固たる存在感の表現に成功しました。

 


【リンゴとオレンジのある静物】1899年 パリ オルセー美術館

 

後のキュビズムを創設したピカソやマティスなど抽象表現主義に決定的な影響を与え、
現代では『近代絵画の父』『抽象絵画の先駆者』と言われています。

 


【レ・ローヴから見たセント・ヴィクトワール山】1904年 フィラデルフィア美術館

 

 

点で面で筆触で描く

スーラ


ジョルジュ・スーラ
1859年12月2日‐1891年3月29日

 


【グランド・ジャット島の日曜日の午後】1884年‐86年 シカゴ美術館

 


【モデルたち】1886年‐88年 

 

 

シニャック


ポール・シニャック

1863年11月11日‐1935年8月15日

 


【七色に彩られた尺度と角度、色調と色相のリズミカルな背景のフェリックス・フェネオンの肖像】

1890年ニューヨーク近代美術館

 

 

クロス


アンリ=エドモン・クロス

1856年5月20日‐1910年5月16日

 


【カバッソンの浜辺】1891年‐92年 シカゴ美術館

 

ベルナール

 


エミール・ベルナール

1868年4月28日‐1941年4月16日

 


【草地のブルターニュの女たち】1888年 個人蔵

 

モリゾ


ベルト・モリゾ

1841年1月14日‐1895年3月2日

 


【食堂にて】1886年 ワシントン ナショナルギャラリー

 

 

まとめ

ポスト印象派をまとめると

・多彩な色をクリアに表現する『点描技法』の確立
・ベタ塗の色面で絵画を構成する『クロワゾニズム』を推進
・厚塗りのうねる筆触

といった感じです。

近代と現代をつなぐ百花繚乱の『橋渡し絵画』になったわけですね。

 

今回はここまでにします。
次回は【ナビ派】についてお話していきます。
それではさようならノシ

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