【シュルレアリスム】不思議だけど現実以上に超リアルな『超現実』絵画

 

アクリル絵の具で描いた作品


【薔薇】Ver.2.0

 

 

こんにちは!絵描きの川原です。

西洋美術史もいよいよ今回で最後になります。
西洋美術史の記事を書いていて私自身かなり勉強になりましたし、
これからも美術史についてもっと知りたいことが増えました。

それでは【シュルレアリスム】について解説していきます。

 

 

シュルレアリスムとは


ルネ・マグリッド【共同発明】1934年

 

1924年、詩人アンドレ・ブルトンの『シュルレアリスム宣言』刊行によって始まった
芸術運動です。

日本語では『超現実主義』と訳されますが、『シュル(sur)=超』は、『突きつめた』という
意味を
極度に強調したニュアンスです。

目に見えない現実や、見えている現実との矛盾『違和感』に突きつめて『真の現実』
触れることを目指し、既成概念にとらわれない夢や無意識の純粋な世界をすくい取って表現しようとしました。

 

文学、美術、倫理、政治、風俗など様々な分野に大きな影響を与えました。

 

『現実離れした、非現実的な』の意味で使う和製仏語の『シュール』は意味合いが異なります。
語源となったシュルレアリスムの本来の意味は『超現実』主義です。

 

夢で見る景色のように、現実にはあり得ないのに、現実以上にリアルな世界を描き、
潜在意識を顕在化しようとする芸術運動です。

 

そのような芸術は以前からありましたが、フロイトの精神分析と
デ・キリコの『形而上絵画(けいじじょうかいが)』に影響された詩人ブルトンが、
ダダイスムから離脱して1924年に『シュルレアリスム宣言』を発表したことで、
国際的な芸術運動へと発展しました。

 

シュルレアリスム絵画には二つのタイプがあります。

エルンストやミロのように、無意識化で描く『自動筆記』やコラージュなどの手法を用い、
偶然の効果で潜在意識を浮き上がらせるタイプ。

 

ダリやマグリットのように、『だまし絵』『デペイズマン(以外な組み合わせ)』などの
手法を用いて、超現実的な光景を意識的かつ写実的に描くタイプです。

 

画家の多くは、後にブルトンの独裁性や政治性を嫌って運動から離れますが、
シュルレアリスム的な画風は第二次世界大戦後まで継続します。

 

『偶然タイプ』は抽象表現主義などに、『写実タイプ』はポップアートや広告美術になどに、
大きな影響を与えました。

 

 

シュルレアリストたち

 

ブルトン


アンドレ・ブルトン

1896年2月19日‐1966年9月28日

フランスの詩人、文学者でシュルレアリスト。

シュルレアリスム創始者であり指導者。
パリのダダ運動において重要な役割を果たしますが、
1921年にトリスタン・ツァラ、ダダと決別。

1924年に『シュルレアリスム宣言・溶ける魚』を発表します。

 

シュルレアリスム情報誌『シュルレアリスム革命』の編集長となり、
シュルレアリスムの普及に務めます。

 

30年代には『シュルレアリスム国際展』を各国で開催し、運動を拡大発展させました。
1940年に亡命しますが、46年にパリに戻って運動を継続します。

 

1966年にパリで亡くなるまでシュルレアリスムの理論的支柱として君臨し続けました。

 

ブルトンの死とともにシュルレアリスム運動も終わりを告げます。

 

 



【シュルレアリスム宣言】1924年

 

 

 


【シュルレアリスムとは何か】1934年

 

 

 


【シュルレアリスム革命】第一号表紙

 

 

 

デ・キリコ


ジョルジュ・デ・キリコ

1888年7月10日‐1978年11月20日

イタリアの画家、彫刻家。

第一次世界大戦よりも前にイタリアで形而上絵画の旗手として活躍し、
のちのシュルレアリスムに大きな影響を与えます。

 

1900年にアテネでギリシャの画家ジョルジオ・ロイロスやジョルジオ・ジャコビッチのもとで美術を学び、1906年に両親とともにドイツへ行き、ミュンヘンの美術学校に入学します。

 

デ・キリコはイタリアとフランスで発行されていた美術誌『ヴァローリ・プラスティチ』誌に
『職人への回帰』という記事を投稿します。
1919年に古典的な描法と図像学への回帰を提唱しました。

 

この記事は、キリコの芸術的方向性の急激な変化を予告するもので、
ラファエルのような巨匠から受けた古典的な技術を取り入れ、
現代美術と敵対することになりました。

 

シュルレアリスムのグループから反発も受けたこともあり、
1919年以後古典技術に興味を移し、新古典主義やバロック形式の作品を制作したことがきっかけでした。

 

 


【街の神秘と憂鬱】1914年

 

 

 


【愛の歌】1914年

 

 

 


【子どもの脳】1917年

 

 

 

エルンスト


マックス・エルンスト

1891年4月2日‐1976年4月1日

ドイツの画家、彫刻家、詩人。

ダダ、シュルレアリスムの開拓者で、ケルン・ダダの創始者です。

 

エルンストは正規の美術教育を受けていませんが、1911年に表現主義のアウゲスト・マッケと知り合い、彼が主催する『ライン表現主義』のグループ展に参加し、
芸術家になることを決意します。

 

翌12年にケルンの『ゾンダーブント展』を訪れ、
パブロ・ピカソやゴッホ、ゴーギャンといった後期印象派の作品に影響を受け、画家になる決意をします。

ケルンのギャラリーで『青騎士』のグループと展示を行い、
1913年には複数のグループ展に参加しました。

 

この時期のエルンストは、キュビスムや表現主義のモチーフにグロテスクな要素を並べた画風を採用しました。

 

1921年に出会ったアンドレ・ブルトンとシュルレアリストたちの情報誌『文学』で
エルンストが紹介され注目を集めるようになります。同年にはコラージュ作品を発表し大きな影響を与えます。

 

 

 


【セレベスの象】1921年

 

 

 


【森】1925年

 

 

 


【沈黙の眼】1933‐34年

 

 

 

マグリッド


ルネ・マグリッド

1898年11月21日‐1967年8月15日

フルネーム:ルネ・フランソワ・ギスラン・マグリット
ベルギーの画家。シュルレアリストのひとり。

 

マグリットの作品は、筆触をほとんど残さず古典的な描法で丁寧な仕上げが特徴です。
画面に表現されているのは、鳥の形に切り抜かれた青空や空中に浮かぶ岩、足の生えた魚といった不可思議で、その絵につけられた題名もまた不思議です。

 

マグリットの絵画は『目に見える思考』であり、
とある物体が現実にはあり得ない場所に存在していたり、
とてつもない大きさで描かれる手法『デペイズマン』を巧みに利用することで評価されています。

 

ほかのシュルレアリストと比べると内面的に激しい表現は少なく、
【白紙委任状】のような『錯覚』を取り入れた、
だまし絵の作品や哲学的要素の高い表現が目立ちます。

 

多く美術関係者以外の知識人にも人気がある画家として知られ、ポップ・アートやミニマル・アートに大きな影響を与えるなど、今までの美術界に多大な影響力を持った芸術家でした。

 

その独特な画風は、サルバドール・ダリと同様、大衆文化にも影響を与えました。

 

シュルレアリスムの柱的存在のアンドレ・ブルトンと対立がありましたが、
生涯シュルレアリスムの表現には忠実でした。

 

 


【ゴルコンダ】1953年

 

 

 


【光の帝国】1954年

 

 

 


【ピレネーの城】1959年

 

 

 


【大家族】1963年

 

 


【人の子】1964年

 

 

 


【白紙委任状】1965年

 

 

 

ダリ


サルバドール・ダリ

1904年5月11日‐1989年1月23日

スペイン、フィゲラス出身の画家。
シュルレアリスムの代表的作家として知られています。

フルネーム:サルバドー・ドメネク・ファプリ・ジャシン・ダ・リ・ドメネク
《カタルーニャ語》

 

ダリは幼くして亡くなった兄がおり、
弟のダリに兄と同じ『サルバドール』という名がつけられました。

幼いダリにとって大きな心理的影響を与えました。
鏡の前に立つダリ自身は死んだ兄『サルバドール』と重ね合わせていました。

 

少年時代から絵に興味を持ち、ピカソの友人である画家ラモン・ピショットから
才能を認められました。

1922年にマドリードの王立サン・フェルナンドアカデミーに入学。

 

ダリはアカデミーの教授を批判し学生の反乱を招いたとして、
アカデミーから処分を受けています。

学生時代は印象派やキュビスムなどの影響もうけていましたが、自分の進む道をシュルレアリスムに見出し、1929年に正式にシュルレアリスト・グループに参加しました。

 

同年の夏にポール・エリュアールが妻とともにカタゲスのダリを訪ねます。
これが後のダリの妻となるガラとの出会いでした。
この時エリュアールには新しい恋人がいました。

ダリとガラは強く惹かれあい1934年に結婚。

 

ダリの作品には、妻ガラを頻繁に登場させており、ガラに対する愛がよく伝わります。

ダリは1938年にシュルレアリストから除名されたのですが、
その理由はダリの『ファシスト的思想』でした。

アンドレ・ブルトンは激怒し、翌39年にダリの作品が商業的になっていくのをからかって
『ドルの亡者』とあだ名をつけたほどでした。
これは『Salvador Dali』をもじった『Avida Dollars』(ドルを貪る)のアナグラムです。

 

しかしダリの人気は非常に高かったため、グループを除名されたあとでも
国際シュルレアリスム展などに必ず招待されました。

 

 

 


【パン籠】1926年

 

 

 


【大自慰者】1926年

 

 

 

 


【記憶の固執】1931年

 

 

 


【肩で2切れの子羊のあばら肉のバランスをとるガラ】1933年

 

 

 

 


【燃えるキリン】1936年

 

 


【聖アントワーヌの誘惑】1946年

 

 



【ポルト・リガトの聖母】1950年

 

 

まとめ

今回は【シュルレアリスム】についてお話してきました。

 

シュルレアリスムをまとめると

・偶然と写実で描く潜在意識
・超現実的な光景を意識的かつ写実的に描いた
・現実を越えた世界を無意識で描いた『自動筆記』

という感じです。

 

今回はここまでにします。
次回は【ポップアート】についてお話していきます。

それではまた!

 

【ポップアート】現代美術の芸術運動その特徴と有名な画家、代表作を解説

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