こんばんは!絵描きの川原です。
アクリル絵の具で描いた作品
FINAL FANTASY Ⅸ 禁断の地 ウイユヴェール
前回の記事では、ルネサンス時代は美術の歴史において非常に重要な時代で、
数々の巨匠が世に作品を送り出していきました。というお話をしました。
今回は北方ヨーロッパまで広がったルネサンス美術についてお話していきます。
今までの初期フランドル派やルネサンス期の美術様式では、ほとんどが祭壇画で人物や物語が存在してました。
16世紀に入り北方ルネサンスでは、ただの風景画や遊びに夢中になる農民や仕事などが描かれるようになりました。
新しいテーマで絵を描くようになったんですね!
ではどんな画家がいて、どのような絵を描いていたのかを観ていきましょう!
目次
北方ルネサンスとは
イタリアのフィレンツェやローマを中心に開花したルネサンス美術は、
アルプスより北の国々で開花しました。
同じころに、今のドイツやオランダ、ベルギーでも数多くの巨匠が活躍していました。
ドイツやオランダ、ベルギーはローマから見て北に位置するので、
この時代の美術を北方ルネサンスと呼びます。
イタリアのルネサンス期には古代ギリシャ・ローマの文化を復興させようとしましたが、
北方ルネサンスのネーデルランドやフランドルでは初期キリスト教美術や
ゴシック美術のような緻密で写実的な絵画も制作されました。
日常の風景に聖書の登場人物を取り入れる【寓意画】など、
北方ルネサンス特有の絵画も多く見られます。
ギリシャ・ローマの古典を研究する「人文主義」は、北方諸国では
聖書研究と結びついて、ルターやカルヴァンの「宗教改革」につながります。
改革派のプロテスタントには富裕な商工業者や領主も多く、
美術はカトリック教会や国王以外にも新たなパトロンを得ることになりました。
前世紀半ばにグーテンベルクが発明した活版印刷術が普及していたこともあり、
本の挿絵や版画も画家の活躍の場となりました。
宗教改革による寓意画と風景画
ローマ・カトリック教会が資金を集め、贖宥状(しょくゆうじょう)を販売したため、
教会が腐敗しました。
1517年、マルティン・ルターがローマ・カトリック教会による贖宥状(免罪符)の
濫発を非難した『95ヶ条の論題』を発表しました。
これを機に各地で『宗教改革』が始まり、国を二分する宗教戦争に発展しました。
人々の不安を煽る出来事が起こったヨーロッパでは、戦乱、疫病、飢餓など
「死」を題材とした作品が流行りました。
象徴的なアイテムに隠れた意味を込める「寓意」を多用するのも、
初期フランドル派以来の北方ルネサンス絵画の伝統となっています。
ホラー趣味や老醜うをリアルに描く伝統も健在で、ドクロや枯花を寓意する
「メメント・モリ(死を思え)」という画題が流行りました。
宗教改革の名手であるルターの肖像画を描いたルーカス・クラナッハも登場します。
クラナッハ(父)【ルター肖像画】1529年 【ヴィーナスとキューピット】1525年
北方ルネサンスの画家たち
アルブレヒト・デューラー
アルブレヒト・デューラー(1471年5月21日‐1528年4月6日)
ドイツの画家で版画家で数学者であり、金銀細工の家に生まれました。
ドイツのダヴィンチと讃えられたデューラーは、ゲルマン人らしい繊細で緻密な線描が特徴で
銅版画を描いています。
クラナッハ(父)の不健全に痩せたヴィーナスは独特のものでした。
デューラーは2回イタリアに留学し、古代ギリシャ・ローマ的な理想的な人体を学んできます。
留学後は古代ギリシャ彫刻のようなどっしりとした人体表現が特徴になっています。
【アダムとエヴァ】 1507年 プラド美術館
【祈る手】 1508年
【聖三位一体の礼拝】1511年 ウイーン美術史美術館
ピーテル・ブリューゲル(父)
ピーテル・ブリューゲル(父)(1525年頃‐1569年9月9日)
ピーテル・ブリューゲル(父)は田舎の農民などの暮らしを多く描いています。
名前の後に『父』となっている理由として、同名の長男と区別するためなんですね。
そのため「ブリューゲル(父)や(老)」と表記されることが多いです。
幼少の頃から親の工房で画家の英才教育を受けていました。
この時代の有名な画家、ブリューゲルもまた親子三代画家でした。
この時代多くの画家は工房を構え、集団で制作を行っていました。
親子そろって画家というのも多かったようです。
ヒエロニムス・ボスも画家一家で、祖父、父、兄、叔父とみんな画家です。
【バベルの塔】1563年 美術史美術館
【雪中の狩人】1565年 美術史美術館
【農民の婚宴】1568年 美術史美術館
ヤン・ブリューゲル(父)
ヤン・ブリューゲル(父)(1568年‐1625年1月13日)
ピーテル・ブリューゲルの子。
ヤン・プリューゲルは花や果物といったものを描いていましたが、
後に風景画で評判を得るようになります。
主に花を色鮮やかに表現し、テーマに取り上げていたため、
『花のブリューゲル』とも呼ばれています。
またビロードの色調の絵を描いていることから
『ビロードのブリューゲル』とも呼ばれています。
【小さな壺の花束】1599年‐1607年 美術史美術館
【花】1606年‐1607年
【花と果実をともなう聖家族】1620年‐1623年 アルテ・ピナコテーク所蔵
ヤン・ブリューゲル(子)
ヤン・ブリューゲル(子)(1601年9月13日‐1678年9月1日)
ヤン・ブリューゲル(子)は父ヤン・ブリューゲルと同名で、息子です。
ヤン・ブリューゲル2世とも呼ばれます。
バベルの塔を描いたことで有名ですね。
父親のもとで修行し、父親と同じような感じの作品を制作しました。
細部まで描写した風景画、寓意画を手がけサインも含め父の模写を制作して売っていました。
父の作品と比べるとやや質が落ちますが、色遣いが明るい表現となっています。
3人の中でも一番緻密な作品を描いています。
【バベルの塔】1568年 ボイスマンス美術館
【楽園】1620年
【風車のある風景】 プラド美術館
まとめ
今回は北方ルネサンスについてお話してきました。
油絵具を生んだ国の作品は、西洋絵画に深い陰影と立体感を与えた画材で、
緻密で奥行きのある作品が多く見応えがあります。
日本でも人気の有名画家も多く、見ていて面白い時代だと感じます。
北方ルネサンスの特徴をまとめると
・奥深く緻密な表現
・今までにない新しいテーマの物語
・地域に寄り添う画家の登場
という感じですね。
次回はマニエリスム期についてお話していきます。
今回はここまでにします。
次回の記事でお会いしましょう!
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