【写実主義】ありのままの現実を描いた作品、有名画家を解説します。

こんにちは!絵描きの川原です。

 

アクリル絵の具で描いた作品


タイトル【CONTRAIL】

 

前回までギリシャ・ローマからロマン主義まで記事を書いてきました。

その中でビザンティンから新古典主義までは画家の個性を越えて共通する時代様式でした。

それに対してロマン主義以降は、画家個人の主義主張に基づく芸術運動として
時代は流れていきます。

前回の記事でも書きましたが、画家個人が個人的感情を剝き出しにして
当時の時事問題を意欲的に描いていました。

 

そこで今回は【写実主義】についてお話していきます。

 

写実主義とは

 

写実主義は近代社会の現実を赤裸々に描くことを重視しました。
ロマン主義の現実逃避的な『今の現実を否定したい』という性格に反発したのが、
写実主義でした。

同時代に異なる主義が並立します。
近代の市民社会では、画家も支配階級の好みと注文に従って描くだけでなく、
自身の考えと表現方法を世に問うようになりました。

 

 

19世紀半ばに興った写実主義もそのひとつです。
単に写実的に描く運動ではなく、今でも写真や映画の世界でいう【レアリズム】のことを
指します。

現実にある貧しさや悲惨さや醜さや猥褻さを、包み隠さず、ありのままに描く姿勢です。

現実を美化する新古典主義への反発という点ではロマン主義と同じですが、
夢や理想を交えずに見たままを客観的に描こうとした点が違います。

 

 

写実主義絵画の代表的な画家はギュスターヴ・クールベです。
英雄的でも革命的でもないごく普通の労働者や、
女神でも聖母でもない生身の裸婦を赤裸々に描いたクールベの作品は、
絵画の冒涜と非難され、なんどもサロンに落選します。

1855年のパリ万博では、自分を中心に理解者と無関心な人々を描いた
《画家のアトリエ‐私の7年にわたる芸術生活の写実的寓意》という
長いタイトルの大作の出品を拒否され、
会場の隣に自ら小屋を建てて西洋美術史上初となる【個展】を開催しました。
この時にパンフレットに載せた「私の生きる時代の風俗や思想や事件を見たままに表現する」
という
【レアリスム宣言】は、マネや印象派をはじめ次の世代の画家たちに大きな影響を与えました。

 


【画家のアトリエ】1854年‐55年 オルセー美術館

 

写実主義の画家たち

 

クールベ


ギュスターヴ・クールベ
1819年6月10日‐1877年12月31日

クールベは写実主義で最も有名な画家はフランスの画家です。
現実の世界の身近な貧しい人々や労働者、卑猥なモチーフを積極的に描きました。

今までの伝統的な芸術からに自立は後の近代美術、特に印象派やキュピズムに影響を与えました。

画家が自分の作品だけを並べた『個展』を開催することはなく、
1855年パリ万博でクルーベが自費で開いた作品展が世界初の『個展』です。

 


【石割人夫】1848年 ドレスデン爆撃で焼失(1945年)

 


【出会い‐こんにちは、クールベさん】1854年 ファーブル美術館

 

ミレー


ジャン=フランソワ・ミレー
1814年10月4日‐1875年1月20日

ミレーは農民を描き続けたフランスの画家でした。
バルビゾン派の創設者の一人です。

肖像画は裸体画で収入を得ながら神話画を描いていましたが、1849年にバルビゾン村に移住してからは働く農民の姿を描き、「種まく人」「晩鐘」「落ち穂拾い」など
傑作を次々に発表しました。

農民画の巨匠として、フランスはもちろんアメリカや日本でも人気を博しました。

のちの時代の画家ゴッホは、ミレーのファンで多くの模写を残し、ミレーと同じ題材、
農民の姿を描いています。

 


【落ち穂拾い】1857年 オルセー美術館

 


【晩鐘】1857年‐59年 オルセー美術館

 


【鍬に寄りかかる男】1860年‐62年 J・ポール・ゲティ美術館

 

ドーミエ


オノレ・ドーミエ
1808年2月26日‐1879年2月10日

ドーミエは新聞や雑誌の挿絵を描くフランスの画家です。
当時の世相を風刺した作品が多く、パリ市民の日常生活や列車内を描写するなど
大胆な構図と筆づかいで表現しています。

絵画を見ても、身の回りの人々のありのままを描いています。

 


【三等客車】1862年 メトロポリタン美術館

 


【洗濯女】 1863年 オルセー美術館

 

バルビゾン派とは

 

19世紀半ば、パリから60キロほど南に下ったフォンテーヌブローの森のはずれにある
バルビゾン村に集い、農村の風景や働く農民の姿を描いた画家たちを【バルビゾン派】
呼んでいます。

 

 

ごく普通の農村風景を見たままに描くバルビソン派は、
写実主義の一派に含まれることもあります。

都会人から見た農村の原風景にロマンやノスタルジーを投影し、貧困や重労働を美しく
描く彼らは、ネガティヴな現実をも容赦なく描く写実主義とは少し異なります。

 

 

都会の喧噪を離れて自然の中で描くという、今なお多くの芸術家が憧れるライフスタイルを
確立したのも、バルビソン派の功績です。
ただし、彼らは戸外でスケッチしてアトリエで油絵に仕上げる古典的手法を踏襲しています。
西洋絵画が完全に外光のもとで描かれるのは、次の印象派を待たなければなりません。

 

バルビゾン派の画家たち

コロー


ジャン=バティスト・カミーユ・コロー

1796年7月16日‐1875年2月22日

次の時代の印象派との橋渡しをした画家です。
優れた人物画を発表する一方で1820年からフォンテーヌブローの森に通い、

銀灰色にくすんだ独特の風景画を確立しました。

 


【モルトフォンテーヌの思い出】1864年 ルーヴル美術館

 

テオドール・ルソー


テオドール・ルソー
1812年4月15日‐1867年12月22日

テオドール・ルソーは15歳からフォンテーヌブローの森に通い、
1847年以後はバルビゾン村に定住しました。

新古典主義者たちの批判に耐えながら、より純粋な風景画を追及し続けます。

 


【フォンテーヌブローの森のはずれ、日没】1848年‐49年 ルーヴル美術館

 

まとめ

 

今回は写実主義、バルビソン派についてお話してきました。

写実主義をまとめてみると

・現実をありのまま描く「社会派絵画」
・都会人が見た「リアルな農村」
・バルビソン派は「田舎暮らしに」憧れた

といった感じです。

身近にあるものからヒントを得て描くというこの発想は、この時代に生まれたんですね!

今回はここまでにします。

次回は印象派についてお話していきます。

印象派って何?その歴史と画家たち、作品をわかりやすく解説します。