こんにちは!絵描きの川原です。
アクリル絵の具で描いた作品
今回は地名も位置付けもややこしい初期フランドル派について解説していきます。
初期フランドル派は時期的にはイタリア・ルネサンス期と重なります。
様々な技術的進歩も西洋美術史に大きな影響を与えています。
ではどのような時代だったのか、さっそく見ていきましょう!
初期フランドル派
1425年~1525年頃(15世紀)
15世紀のフランドルで活躍した画家たち、フランドル地方の芸術運動のことをいいます。
ここまでは非常に簡単ですが、さらに知ろうとすると急にややこしくなります。
そもそもで「フランドル」と地名が曲者です。
現在はベルギーの一地方名となっており、
当時は現ベネルクス三国からフランス北部までを含むブルゴーニュ公爵領のことです。
多言語地域でフランス語で「フランドル」なのにオランダ語では「フラーンデレン」、
日本では「フランダース」と呼んだりするので、ややこしくなります。
フランドル地方ではヨーロッパにおける貿易の中継地として栄えました。
特にベルギー周辺では、毛織物の特産地で有名でそのおかげで豊かになった権力者たちは
自身の名声を高めるために、多くの芸術作品を発注しました。
そのことがきっかけで、芸術家たちは競争し発展していきました。
初期フランドル派の美術史上の位置付けも微妙です。
時期的にはルネサンスと重なるものの、様式的にはむしろ前時代のゴシック色が濃厚です。
それゆえに後期ゴシックに含まれることもあれば、北方ルネサンスの先駆とされることもあります。
15世紀のネーデルランド(オランダ)絵画、あるいは単に北方絵画とも呼ばれたりするのでややこしいです。
新技法で細密描写
ややこしい初期フランドル派ですが、様式的には逆でむしろわかりやすいです。
簡単にまとめると
・ゴシックのゲルマン的「森テイスト」と
・ホラー趣味をさらにパワーアップして
・よりリアルかつ繊細に描いた感じ。
です。
画風はゴシック期の延長でも画材と技法は格段に進歩して、
イタリア・ルネサンスの画家たちのも影響を与えたほどです。
その新技法とは兄フーベルトと弟ヤンのファン・エイク兄弟が
完成したとされる油彩画、つまり油絵です。
今まで一般的に使用されていたテンペラと比べると、
油彩画は非常に高い色の純度と精度を表現することができ、広範囲の色調を使用することができるようになったり、それに加えて透明度を上げることも可能になりました。
彼らと同時期に油絵を描き「フレマールの画家」と呼ばれるロベルト・カンピン。
彼の弟子だったロヒール・ファン・デル・ウェイデン、
さらにその弟子とされるドイツ出身のハンス・メムリンク。
「オランダの水木しげる」とも呼ぶべき妖怪画の巨匠、ボス。
名前を覚えておいて損のない初期フランドル派の画家たちです。
ハンス・メムリンク【バテシバの入浴】(1485年)
フレマールの画家とは
フランドルの「フレマール修道院旧蔵」といわれる聖母子の祭壇画【フレマールの祭壇翼画】
または【ウェルル祭壇画】(フランクフルト・シュテデール美術館)からこの名がつきました。
ロベルト・カンピンとされる【ウェルル祭壇画】1438年(シュテデール美術館)
初期フランドル派の画家たち
ファン・エイク兄弟
ヤン・ファン・エイク(1395年頃~1441年)の代表作「ターバンの男の肖像」
兄フーベルト・ファン・エイク(1385年頃~1426年)
ランブール地方に生まれたヤン・ファン・エイクは兄のフーベルトと共に画家の道に進みました。
フーベルトは地元で親方として独立、ヤンはブルゴーニュのフィリップ善良公のもとで宮廷画家となります。
フーベルトはシント・バーフ大聖堂のヘント祭壇画を制作していたところ、
制作途中で亡くなってしまいました。
祭壇画はヤンが引き継ぎ完成させました。
【ヘントの祭壇画】(1432年)ベルギー・シント・バーフ大聖堂
【アルノルフィーニ夫妻の肖像】(1434年)
ロベルト・カンピン
ロベルト・カンピン(1375年頃~1444年4月26日)
初期フランドル派の創始者的存在である、ヤン・ファン・エイクと同じように
油彩をによる着色方法を使用した最初期の画家のひとりです。
ロベルト・カンパンとも呼ばれ、写実による現実的描写や、統一感のある空間構成など
独自の伝統基礎を築き上げました。
また当時のカンピンの記録は整理されていますが、『これがカンピンの作品だ!』といえる
ものは今現在一つも残されていません。カンピンが描いた絵が一つも残っていないんですね。
弟子にはヴァン・デル・ウェイデンなどを後世の初期フランドル派を代表する画家を輩出しました。
【メロードの祭壇画】(1425年~1428年頃)ニューヨーク・メトロポリタン美術館
ロヒール・ファン・デル・ウェイデン
ロヒール・ファン・デル・ウェイデン(1399年~1464年6月18日)
偉大なる先人で初期フランドル派の革新者であったロベルト・カンピンの弟子です。
ウェイデンの様式は同じ時代の巨匠ヤン・ファン・エイクに比べると写実性は劣りますが、
深い精神性を携えた、師ロベルト・カンピンからの影響ですでに時代遅れとなっていた
ゴシック期の表現を組み合わせた独自の世界観を示しました。
晩年には曲線を多用した悲観的表現によって高い支持を得ました。
【聖母を描く聖ルカ】(1435年頃) ボストン美術館
ヒエロニムス・ボス
ヒエロニムス・ボス(1450年頃~1516年8月9日)
本名はイェルーン・ファン・アーケン。オランダの画家
オランダ語でイェロニムス・ボスドイツ語でヒエローニュムス・ボシュと発音しますが、
日本ではヒエロニムス・ボッシュと表記されることがあります。
初期フランドル派の異端画家です。
ベルギー国境近くにあるス・ヘルトーヘンボス(デン・ボス)の画家一家のもとに生まれました。
父アントニウス・ファン・アーケン、祖父ヤン、兄ホーセンと3人の叔父たちが画家でした。
ボスの作品は、ネーデルランド、オーストリア、スペインなど幅広い地域で人気を呼び、
作品が収集されています。特に地獄の不気味で悪夢的な描写の作品が人気でした。
ボスが描いた絵画には、奇想天外な異様な怪物や動物、奇妙な建物といったモチーフを登場させたり、画面全体には隅々まで不思議で魅力が詰め込んでいます。
【聖アントニウスの誘惑】(1505年~1506年) ポルトガル リスボン国立美術館
【快楽の園】(1503年~1504年) マドリード プラド美術館
【最後の審判】(1482年) ウィーン美術アカデミー
まとめ
今回は初期フランドル派についてお話してきました。
ファン・エイク兄弟やカンピンが油絵を完成させるなど、絵画史において
画材と技法は格段に進歩しました。
初期フランドル派の特徴をまとめると
・地名も位置付けもややこしい
・緻密なディテール描写
・妖怪地獄絵図を油絵でパワーアップ
という感じですね。
次回は初期ルネサンスについて
お話していきます。
それでは次の記事でお会いしましょう!
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