こんにちは! 絵描きの川原です。
アクリル絵の具で描いた作品
今回は『象徴主義』についてお話していきます。
神秘的な夢や幻想や神話の世界を描くことで、自己の内面を象徴的に表現する象徴主義。
一見、古風な作品もありますが、実は印象主義と並んで
19世紀後半の反古典主義運動の両翼を担っていた当時最新の風潮です。
それでは「象徴主義」について解説していきます。
【ナビ派】の記事はこちら↓
象徴主義とは
19世紀前半に反古典主義を掲げたロマン主義には、
今の現実をありのままに直視する攻めの姿と、
今の現実から目を背け、夢や幻想の世界を描く逃げの姿勢がありました。
前者を受け継いだのが写実主義で、後者を受け継いだのが象徴主義だったんですね。
象徴主義は、画題と技法は古風でも、伝統的な決まりごとにとらわれず
画家の自由な想像力を優先した点で、反古典的でした。
画題と技法は革新的でも自然を写生する点で古典的だった印象主義とは対照的です。
一見古い画風にしても、ルネサンス以前のゴシック的な精神性や
初期フランドル派な精密性を感じさせ、古すぎて逆に反古典的です。
一周回って新しく、印象主義以後の平面的な表現ともなじみます。
男を破滅に導く「運命の女(ファム・ファタル)」を好んで描いた点も、当時は最先端の
流行だった世紀末的退廃ムードに乗っていました。
ラファエル前派とは
ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ
【魔性のヴィーナス】1868年 ラッセル=コーツ美術館
この頃のイギリスではラファエル前派が登場します。
象徴主義の先駆けは、イギリスのロセッティ、ミレイ、ハントらが
1848年に結成したラファエル前派です。
古典主義ののお手本となったラファエル以前の、ゴシック的精神性を回復しようとした
反古典主義運動で、モリスやバーン=ジョーンズらがあとに続きます。
少し遅れてフランスで、長い間アカデミーに受け入れられずに自宅にこもって独自の幻想世界を
描き続けたモローをはじめ、詩的な静けさに満ちた平面的な画風のピュディス・シャヴァンヌや、
夢と神話の世界を寓話的に描いたルドンらが登場します。
世紀末に向け、『象徴主義』は欧州中に広まりました。
初期フランドル派以来の幻想絵画の伝統を誇るベルギーでは、
クノップフやロップスが退廃的な世界を展開しました。
ゴシック趣味が根強いドイツはクリンガーやシュトゥック、
スイスはホドラーやベックリンらを輩出します。
こうした広がりからもわかるように、象徴主義にはラテン的な古典主義に対する
ゲルマン・ゴシック的な神秘主義の復権という側面もありました。
象徴主義の画家たち
ロセッティ
ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ
1828年5月12日‐1882年4月10日
イギリスの画家で、ラファエル前派を代表する画家のひとりです。
幼い頃より文学や芸術に高い関心を持っていました。
ロセッティはシェイクスピアやゲーテなど世界の三大詩人の名作に没頭し、
13歳の頃には絵画学校に入学しました。彼は絵画に強い関心を持っていました。
17歳の頃には、ロンドンのロイヤル・アカデミー付属美術学校に入学。
絵画の道に本格的に進むようになります。
ここでラファエル前派の創設メンバーとなる、ミレイとハントの2人に出会い、仲良くなりました。
ロイヤル・アカデミーの授業内容から、イギリス美術界の低迷を強く感じていました。
ロセッティはミレイ、ハントの3人のほかに7人の仲間を募り、
1848年に「ラファエル前派兄弟団」を結成しました。
『ラファエル前派』としてロセッティ、ミレイ、ハント3人揃ってロイヤル・アカデミー展に出品する約束のはずが、ロセッティだけ別のギャラリーに出品しました。
それがきっかけで、ラファエル前派はわずか5年という短期間で解散してしまうのでした。
ロセッティの妻エリザベス・シダルの死を悼んで描かれた作品。
モデルは友人のウィリアム・モリスの妻ジェーン。
【デイ・ドリーム】1880年 ヴィクトリア&アルバート博物館
こちらもモデルは【プロセルピナ】と同じモリスの妻ジェーン。
ミレイ
ジョン・エヴァレット・ミレイ
1829年6月8日‐1896年8月13日
イギリスの画家。イギリス南部の都市サウサンプトンの裕福な家に生まれました。
ミレイの画力は幼い頃から非常に高く、わずか11歳でロイヤル・アカデミーに入学します。
神童として注目を集めました。天才だったわけですね!
ミレイはロイヤル・アカデミーでロセッティやハントの二人と出会い、親交を深めます。
ロイヤル・アカデミーでの美術教育を批判し、「ラファエル前派兄弟団」を結成します。
1850年の作品【両親の家のキリスト】はロイヤル・アカデミーで展示した際、
「キリストが貧相」「聖母マリアが醜い」などかなり酷評だったようです。
【両親の家のキリスト】で美術界から非難され、孤立していたミレイですが、
オックスフォード大学の教授だったジョン・ラスキンは「ラファエル前派」を支持しました。
ラスキンは「芸術は自然に忠実でなければならない」と主張しました。
この主張は、ラファエル前派が作品を創造する上でのモットーになりました。
【両親の家のキリスト】1849年‐1850年 テート・ブリンテン
ラスキンの評価に応えるように、ミレイはラファエル前派の作品を代表する傑作【オフィーリア】を発表します。
1851年から52年に制作された【オフィーリア】は、非常に高い評価を得ました。
【オフィーリア】本作のモデルを務めたのは、ロセッティの妻エリザベス・シダルです。
ハント
ウィリアム・ホルマン・ハント
1827年4月2日‐1910年9月7日
イギリス・ロンドンの裕福な商店の息子としてい生まれました。
はじめは商業の仕事に就きますが、絵を学び商業美術の仕事をした後、
ロイヤル・アカデミーに入学しました。
美術学校の学生であったハントは、ロセッティやミレイと出会いました。
この美術学校では古典絵画ばかりを教える学校の教え方に不満を募らせていたため、
ハント、ミレイ、ロセッティらは「ラファエル前派」を結成しました。
ハントは聖書や伝説を題材にした絵画を描くことと徹底的に描き込むためには、
物語の起きた現場を見なければ描けないと考え、パレスチナを3度訪れています。
ジョン・ラスキンの「自然の忠実な再現」という思想を最も忠実に実行した画家でした。
モロー
ギュスターヴ・モロー
1826年4月6日‐1898年4月18日
フランスの画家。
モローは、象徴主義の代表的な画家で、印象派の画家たちと同時代に活動しました。
想像や幻想の世界を描き、文学者やほかの画家たちに多大な影響を与えました。
聖書や神話を題材に独自の解釈を加えた描写で評価されました。
1864年、モローがサロンに出品し画家として有名になった絵画、
【オイディプスとスフィンクス】この作品はサロンで賛否両論になりました。
【オイディプスとスフィンクス】1864年 メトロポリタン美術館
1865年、1866年と続けてサロンに出品し、
【オルフェルス(オルフェルスの首を抱くトラキアの娘)】は国家買い上げ作品となりました。
【オルフェルス(オルフェスの首を抱くトラキアの娘)】1856年 オルセー美術館
トラキアの娘が抱くオルフェルスの首のモデルはミケランジェロの石膏像です。
ルドン
オディロン・ルドン
1840年4月22日‐1916年7月6日
フランスの画家。
ギュスターヴ・モローと同じく象徴主義の代表的な画家として知られています。
木炭画やパステル画、油彩画など多彩な画法を使い分けいずれも色彩表現が高く評価されています。
ルドンは、ほかの象徴主義の画家とは一味違う世界を描いています。
印象派の画家たちと同じ世代ですが、作風や画題は大きく異なっています。
日常の風景を題材とすることが多かった当時の画家とは違い、独特の世界を描き続けました。
ルドンの作品は退廃的で奇妙な作風がよくみられます。
モノクロの版画作品を制作していた時期は、絶望を感じさせる作品がほとんどでした。
ルドンの作品は後の『シュルレアリスム』の画家たちに大きな影響を与えます。
【不思議な花(子供の顔をした花)】1880年 シカゴ美術研究所
【キュクロプス】1914年 オランダ、国立クレラー=ミュラー美術館
クノップフ
フェルナン・クノップフ
1858年9月12日‐1921年11月12日
ベルギーの画家。
シャヴァンヌ
ピエール・ピュヴィス・ド・シャヴァンヌ
1824年12月14日‐1898年10月24日
フランスの画家。
まとめ
今回は象徴主義についてお話してきました。
象徴主義をまとめると
・最先端の流行、世紀末的退廃ムード
・初期フランドル派的な緻密性と装飾性
・夢の中にいるような幻想的な世界
という感じです。
夢と幻想に溺れ、独特の世界を描く新時代の幻想絵画。
象徴主義はファンも多く、影響力のある画家が多いです。
今回はここまでにします。
次回は分離派とアール・ヌーヴォーについてお話していきます。
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