【マニエリスム期】うねるS字曲線などが魅力の有名作品を解説します。

こんにちは!絵描きの川原です。


アクリル絵の具で描いた作品

FINAL FANTASY Ⅸ 禁断の地 ウイユヴェール

 

今回はマニエリスム期についてお話していきます。

マニエリスムとは和製英語で「マンネリ」「マナー」と同語源で、
16世紀のイタリアで流行した様式です。

ワンパターン化すると新鮮さが無くなることを「マンネリ」と言います。
実はこの『マンネリ(マンネリズム)』は、マニエリスムから生まれた言葉です。

それではマニエリスム期、有名な作品についてお話していきます。

マニエリスム(後期ルネサンス)の美術について

マニエリスムは後期ルネサンスとも呼ばれ、盛期ルネサンスの巨匠たち(ミケランジェロや
ラファエロ)の手法『マニエラ』を
習得し、繰り返すだけ(マンネリズム)の絵画という意味で、
かつては否定的に使われました。
同じモノ、同じ経験ばかりしていてもいずれ飽きてしまいます。
それに固執しすぎると、マンネリに陥るというわけです。

ルネサンス期の巨匠たちが古典、自然を模範とし乗り越えようとしたのに対して、
実際、単に繰り返すだけでなく、さらに進化させようとして真逆の方向に
不自然になってしまっているのが、マニエリスム絵画の特徴です。

そのためマニエリスムの不自然さが面白く、シュルレアリスム絵画に通じる
不思議な魅力があり、今日ではより積極的に再評価されました。

 

冷たい美貌とS字曲線

マニエリスムの画家が好んだ『マニエラ』は、大きく分けて2つあります。

1つ目はミケランジェロの「苦悩表現」を強調した「うねるマニエラ」です。
伸びた人体とS字曲線が特徴です。

ポントルモやロッソ・フォレンティーノ、ヴァザーリ、エル・グレコらが多用しました。

 

2つ目はラファエロの「優雅表現」を強調した「冷たいマニエラ」です。
整いすぎて生気が感じられないほどの美貌と細長い指が特徴です。

ブロンツィーノとパルミジャニーノを筆頭に、ポントルモの師アンドレア・デル・サルトや
フォンテーヌブロー派の作品にも見られます。

マニエリスムに画家たちは、この2つの「マニエラ」のどちらか、または2つを駆使して、
独自の不自然さを醸し出しています。

野菜や動植物を集めて顔を作るアルチンボルドの『だまし絵』は
彼オリジナルの「マニエラ」ですが、

人体の変形や生気がないという点では、ほかの画家たちの作品と共通しているといえます。

 

マニエリスム(後期ルネサンス)の画家たち

ポントルモ

ヤコポ・ダ・ポントルモ(1494年5月24日‐1557年1月2日)

イタリア・フィレンツェのマニエリスム期の画家です。
ルネサンス期最後の画家で、アンドレア・デル・サルトに師事。
その工房出身でロッソ・フォレンティーノと共にマニエリスム期最初の画家となりました。

ポントルモの作品の特徴は、宙に浮いてねじれたようポーズをとる人物、
曖昧な遠近法の表現、作品の上部に配置された人物群などです。


【十字架降下】1526年‐28年 サンタ・フェリチタ聖堂

 


【エマオの晩餐】1525年 ウフィツィ美術館

 

ロッソ・フォレンティーノ

ロッソ・フォレンティーノ(1495年‐1540年)
本名ジョバンニ・バディスタ・ディ・ヤコポ

ルネサンス(マニエリスム)の美術をフランスに伝える役割を果たした
イタリア・フィレンツェ出身の画家です。
アンドレア・デル・サルトの工房で絵を学び、ポントルモと同じ工房で修行しました。
もちろんロッソの師もアンドレア・デル・サルトです。


【エテロの娘たちを救うモーセ】1523年 ウフィツィ美術館

 


【十字架降下】1521年 ヴォルテラ美術館

 

パルミジャニーノ

パルミジャニーノ(1503年1月11日‐1540年8月24日)
本名ジローラモ・フランチェスコ・マリア・マッツォーラ
ローマで活躍したイタリア・パルマ出身の画家です。

『ラファエロの再来』といわれるほどの才能の持ち主でした。
最も影響を受けているのはラファエロです。
現存するスケッチの中でも、ラファエロのスケッチを多く残しています。
ですがパルミジャニーノ自身、戦争やペストの影響でイタリアの各地を転々としながら作品を制作しました。

パルミジャニーノは、ポントルモやロッソと並んでマニエリスムを代表する画家のひとりです。

 


【凸面鏡の自画像】1523年‐24年 オーストリア ウィーン美術史美術館
若い頃は美貌で知られた画家の自画像。当時長い指はイケメンの条件でした。


【アンテア(貴婦人の肖像)】1531年‐34年 ナポリ カポディモンテ美術館


【長い首の聖母】1534年‐39年 フィレンツェ ウフィツィ美術館

 

アルチンボルド

ジュセッペ・アルチンボルド(1526年4月25日‐1593年7月11日)

イタリア・ミラノ出身の画家です。

アルチンボルドは野菜、果物、動植物などを寄せ集めた、奇抜なビジュアル
アイデアが人気で、画家としてだけでなく神聖ローマ帝国の宮廷の装飾や衣装のデザインも手掛けていて生活には困らなかったようです。

アルチンボルドが亡くなる少し前に、『ウェルトゥムヌスに扮するルドルフ2世』
完成させ、当時の王侯貴族であるルドルフ2世はこの奇抜な肖像画を大変気に入り
アルチンボルドに高い地位を与えました。

日本の歌川国芳も裸体を集めて顔を作る『だまし絵』を描いています。

 


【ウェルトゥムヌスに扮するルドルフ2世】1590年頃 スウェーデン スコールロステル城


【フローラ】1591年

 

エル・グレコ

エル・グレコ(1541年‐1614年4月7日)
本名ドミニコス・テオトコプロス

エル・グレコの現存する作品はおおよそ聖人画を含む宗教画が85%、
肖像画が10%となっています。

エル・グレコは絵画の他にも彫刻や建築の構想も手掛けていて
自分が描いた油彩画が収められる祭壇の設計や礼拝堂の建築、採光の考案なども手がけていました。


【神殿を浄めるキリスト(神殿から商人を追い払うキリスト)】1600年ごろ

 


【ラオコーン】1610年‐14年 ワシントン、ナショナル・ギャラリー

 

まとめ

 

今回はマニエリスム期についてお話してきました。

ルネサンス期の巨匠たちの『マニエラ(手法)』を繰り返すだけの絵画だったわけです。
ルネサンスとバロックの間の時代ですが、マニエリスム期は独特の魅力があると思います。

簡単にまとめると

・盛期ルネサンスの巨匠たちの手法を模倣
・不自然に伸びた身体がひねり出す蛇状S字曲線
・不自然な歪みと冷たさが魅力の不思議絵画

といった感じです。

次回はバロック期についてお話していきます。

今回はここまでにします。
次の記事でお会いしましょう!

【北方ルネサンス】北方ヨーロッパの美術と有名画家、作品を解説します。

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