ベラスケスってどんな画家?宮廷画家人生や代表作について解説します

 

 

アクリル絵の具で描いた作品

 

こんばんは!絵描きの川原です。

今回は『ベラスケス』というとても有名な画家についてのお話です。

ベラスケスも『バロック期』の画家で、時代はスペイン絵画の黄金時代で
17世紀を代表する画家です。

ベラスケスはどんな人物だったのか、有名な作品がいくつあるのかなどわかりやすく解説していきます。

ベラスケスに興味がある方は是非読んでみてください!

 

 

ベラスケスってどんな画家?

本名:ディエゴ・ロドリゲス・デ・シルバ・イ・ベラスケス

生没年:1599年6月6日‐1660年8月6日

生まれた場所:スペイン セビーリャ

活躍した場所:マドリード

パトロン:フェリペ4世

 

幼少期をスペインのセビージャで過ごし、当時ヨーロッパ全土に浸透したカラヴァッジョと
その支持者『カラヴァジェスキ』の影響を受けたと言われています。

 

7人兄弟の長男であったベラスケス。
何をやっても優秀でしたが、一番熱心に取り組んだのは絵を描くことでした。

 

12歳の頃から6年間、フランシスコ・パチェーコの工房で修行し、
絵画技術の向上と豊かな教養を身に着けました。

 

その才能を師パチェーコも認め、彼の娘である『フアナ』と結婚します。

 

 

【フェリペ4世】1653年 プラド美術館

 

ベラスケスは若くして宮廷画家となった画家で、24歳の頃にはすでにスペイン国王フェリペ4世の画家となり宮廷で仕事をするなどその才能を発揮していました。

それから40年以上も宮廷で王様に仕え、絵を描き続けます。

 

 

特にフェリペ4世はベラスケスを気に入っていたことで知られ、アトリエにもよく足を運んでいたくらいでした。
宮廷で過ごした日々はベラスケスにとって、多くの制作依頼を受けるチャンスとなっただけでなく、王室コレクションをじっくり研究する機会を得ました。

 

 

古代から同時代まで様々な作品に触れ、過去の芸術の要素を取り入れながら、
自分だけの絵画スタイルを確立していきました。

 

 

王族の肖像画を多く手掛けており、非常に顔の表情を描くのが巧い画家だったようです、
ベラスケス本人も肖像画には自身があったようで、
『私以外に顔を描ける画家を知らない』
という言葉を残しているようです。

 

 

周りから見たフェリペ4世とベラスケスは親友のような関係だったと言われています。
他の画家に比べ、特別に良い待遇をうけていたんですね。

 

 

それだけフェリペ4世から信頼を受けていたベラスケスですが、本業は画家です。
しかし国王に気に入られていたこともあり、宮廷の行事や外交の仕事も任されていました。

 

 

イタリアに滞在していた時期にはフェリペ4世から帰国を促されても、それに応じず2年以上も戻りませんでした。

 

 

ベラスケスにとって宮廷の仕事は非常に疲れるものでした。
最終的にベラスケスは過労で倒れ61歳で亡くなってしまいました。

 

 

 

ベラスケス イタリア留学

 

【鏡のヴィーナス】1648年 ナショナルギャラリー

 

 

イタリア芸術家からも影響を受けていて、外交官としてスペインを訪れていた
フランドルの画家ルーベンスは、
イタリアに数年間住んでいて彼との交流を通じてベラスケスはイタリア留学に興味を持ち始めました。

 

 

フェリペ4世からイタリア留学の許可を得たベラスケスは、1629年からイタリアへ渡航します。
2年間の滞在費用と絵画を買い付けるための費用を与えられていました。

 

 

絵画に対する眼はしっかりとしたものがあり、ルーベンスなどの絵画を多く所持していました。
王室コレクションですね。

 

 

そこでベラスケスはイタリアの重要なコレクションに触れる機会を得ます。
この好機を生かし、ミケランジェロやラファエロなどイタリア巨匠の作品を模写しました。

 

 

過去の巨匠の作品たちを生で見る機会を得ていたことは、
ベラスケスにとっても非常に幸運な出来事だったんですね。

 

 

ベラスケスの絵画作品は、イタリア留学前の1617年‐1622年の間に描かれた作品
留学後の1631年‐1649年の描かれた作品とでは明らかな作風の違いが見られます。

 

 

1617年‐1622年の代表作

 

【3人の音楽家】1617年‐1618年 絵画館 ベルリン

 

 

【卵を調理する老女】1618年 エジンバラ スコットランド国立美術館

 

 

 

 

1631年‐1649年の代表作

 


【皇太子バルタサール・カルロス騎馬像】1635年 プラド美術館

 

 


【聖母戴冠】1635年‐1636年 プラド美術館

 

 

 

代表作品ラス・メニーナスとは?

 


【ラス・メニーナス】1656年 プラド美術館

 

フェリペ4世に大変気に入られていたベラスケスは、王族の肖像画を任されて多くの傑作を多く描き残しています。
そのうちのひとつが、代表作【ラス・メニーナス】です。

 

画面中央にいる少女は、国王の娘である『マルガリータ王女』(5歳)です。

 

左端で天井まで届く巨大なキャンバスの前に立っている人物がベラスケス本人です。

ベラスケスの左胸に注目してみると、騎士団の称号を証明する『赤い十字架』が描かれています。
画家の地位が高くなかった当時、ベラスケスがこの称号を手にするのは大変名誉なことでした。

 

 

それはフェリペ4世との関係が功を奏して、ベラスケスが長年望んでいたサンディエゴ騎士団の称号を手にすることも出来たんですね。
騎士団に入るには非常に厳しいのテストが課せられていましたが、特別待遇でこの騎士団に加入することができたワケです。

 

 

若い頃から優れた描写力で多くのモチーフを写実的に描いてきました。
晩年になるとさらに技術に磨きがかかってきます。

 

この『ラス・メニーナス』を描いた8か月後に過労死してしまいます。

 

 

 

 

作品集

 

【バッカスの勝利】1629年 プラド美術館

 

 

 



【フェリペ4世騎馬像】1635年 プラド美術館

 

 

 

 


【オリバーレス伯公爵騎馬像】1636年 プラド美術館

 

 

 


【皇太子フェリペ・プロスペロの肖像】1659年 美術史美術館

 

 

 

まとめ

 

今回はスペインのバロック期の巨匠ベラスケスについてお話してきました。

画家でありながら国王に気に入られらたベラスケス。

非常に高い技術で多くの傑作を残し、ベラスケスの作品は後の印象派のきっかけとなった
エドゥアール・マネなども崇拝していたことでも知られています。

 

印象派の画家たちから『画家のなかの画家』と称賛されました。

 

 

今回はここまでにします。
またほかの記事でお会いしましょう!