アクリル絵の具で描いた作品
こんばんは!絵描きの川原です。
今回は北方ルネサンス期の画家『アルブレヒト・デューラー』についてお話していきます。
デューラーといえば、西洋史上初めて単独自画像を描いたことで知られています。
絵画以外にも版画で大きな功績を残した画家です。
ラファエロをはじめ、同世代のイタリア人画家との交流や、
ドイツ人文主義の知識を組み合わせて北方ルネサンスの発展を支えました。
それでは解説していきます。
デューラーってどんな画家?
名前:アルブレヒト・デューラー
生まれ:1471年5月21日‐1528年4月6日
活躍した場所:ドイツ ニュルンベルク
代表作:『十三歳の自画像』、『自画像』、『祈る手』
デューラーはドイツのルネサンス期の画家で、版画家、数学者です。
自画像を多く描いた画家としても知られています。
当時は画家自身が自分の姿を小さく描き入れる程度でしたが、自分自身を主題とした
『自画像』を描くことはほとんどありませんでした。
正面を向いた構図は『神』や『聖人』を主題とした作品が一般的でした。
父は同名で、ハンガリーからドイツ南部に移住してきた金銀細工師です。
16世紀に活躍したドイツ人画家デューラーは、絵画や版画など幅広いジャンルで作品を残した芸術家です。金細工職人だった父から金細工やデッサンを学びました。
父はデューラーの才能を見込んで金細工職人になることを勧めていました。
デューラー本人は絵画に関心があり、15歳でニュルンベルクを代表する芸術家
ミヒャエル・ウォルゲムートに弟子入りします。
1484年『シルバーポイント』と呼ばれる銀を擦り付けて描画する画材を用い、
自画像『子供時代』からすでに絵の才能を発揮していました。
当時のニュルンベルクは印刷業や贅沢品で産業で栄え、地理的に近い北イタリアとの交流もありました。
デューラーが版画で非常に精度の高い作品を残せたのは、版木切削工について学ぶ機会があり、
木の構造をよく理解していたからといわれています。
ゲルマン人らしい緻密で繊細な線画が特徴の銅版画を描いています。
イタリアへ留学
【十三歳の自画像】1484年
デューラーは、1494年から95年にかけてイタリアに留学し、、イタリア画家のジョヴァンニ・ベッリーニやマンテーニャの影響を受けました。
古代ギリシャローマ的なりそうな人体を学んでいきます。
フォルムゲムートのもとで修行を終えたデューラーは、さらにほかの地域の芸術や
絵画技法を学ぶため一人修行の旅に出ます。
その後。婚約者であるアグネス・フライと結婚しました。
イタリア留学後のデューラーの自画像は古代ギリシャ彫刻のような
人体表現が特徴になっています。
デューラーは、先進的な絵画技法を学ぶためヴェネツィアを訪れ、
ドイツ様式の木版画の制作方法や、ドライポイントによる銅版画の制作を学びました。
当時のイタリアの画家、彫刻家たちの社会的地位がドイツに比べ高いことに驚きました。
ドイツでは画家は一職人としてみなされていたため、イタリアでは教養ある『芸術家』として
独自の地位を築いていたのです。
デューラーは『芸術家』という概念をドイツにも取り入れ、芸術家の地位向上を目指しました。
帰国後にはニュルンベルクに自身の工房を開き、作品にイタリア要素を積極的に取り入れるようになりました。
デューラーの作品集
【父の肖像】1490年 ウフィツィ美術館 フィレンツェ
【自画像】1493年 ルーヴル美術館 パリ
この作品は22歳の時に描いた最も古い自画像です。
この作品は、西洋史史上初めて独立して描かれた自画像といわれています。
【自画像】1498年 プラド美術館 マドリード
この作品は26歳の時に描かれた自画像です。
本作は22歳の自画像に次いで2点目の自画像になります。
【自画像】1500年 アルテ・ピナコテーク ミュンヘン
この作品は28歳の時に描かれた自画像です。
油彩で描かれた3作品目の自画像で、初めて真正面から自分の姿を描きました。
22歳と26歳の肖像画は画面右方向に顔を向けていますが、
本作では左右対称に正面向きで描かれています。
【東方三博士の礼拝】1504年 ウフィツィ美術館
【アダムとイヴ】1507年 プラド美術館
【祈る手】1508年 アルベルティーナ ウィーン
デューラーの最も人気のある作品で、フランクフルトの織物商から
翼のある祭壇『ヘラー祭壇』の制作依頼受けました。
1729年の火事で焼失した祭壇画でしたが、習作に過ぎなかった本作品はその後
祭壇画よりも有名な作品になりました。
【黙示録の四騎士】1497年‐1498年 木版画
【メランコリアⅠ】1514年 銅版画
まとめ
今回は『アルブレヒト・デューラー』についてお話していきました。
北方ルネサンス期の中でも、多くの『自画像』を描いたデューラー。
デューラーは画家としてとどまることなく、絵画論や人体表現などの書籍も出版するほど
研究熱心だったんですね。
では今回はここまでにします。
次回はマニエリスム期の画家パルミジャーノについてお話していきます。
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