【ナビ派】絵画の新時代を拓いたドニ、ナボールについて解説します

こんばんは!絵描きの川原です。

 

アクリルで描いた作品


【薔薇】

 

今回は「ナビ派」についてお話していきます。

ナビ派にも「ポン=タヴェン」が登場します。これは前回の記事にも書いています。

おさらいすると「ゴーギャン」はフランスのポンタヴェン村に滞在し、
ベルナーニやドニら「ポン=タヴェン派」の仲間と共に土俗的な風習を
「クロワゾニズム」で描写しました。

という内容でした。

それでは「ナビ派」についてお話していきます。

 

 

ポスト印象派の記事はこちら↓

【ポスト印象派】近代と現代をつなぐ20世紀絵画の源流について解説

 

 

ナビ派とは


ボナール【田舎の食堂】1913年 ミネアポリス美術館

 

1888年秋、セリュジエという若い画家がポン=タヴェンでゴーギャンの指導を受け、
木を黄、葉を赤、影を青の色面で構成した抽象絵画のような小品を制作しました。

新時代の絵画と開眼し、パリで画塾仲間のドニ、ボナール、ヴュイヤールらに
呼びかけて結成したのが【ナビ派】です。

「ナビ」はヘブライ語で「預言者」という意味です。

彼らはゴーギャンという【神】の啓示を世に広め、
新しい芸術を創り出す預言者になろうとしたわけです。

きっかけとなったセリュジエの小品は【タリスマン(御守り)】と呼ばれました。

 

ナビ派に共通するのは、ゴーギャンの「クロワゾニズム」を継承した平面性と装飾性です。
その源流となった日本美術への理解もさらに深まり、
屏風絵や掛け軸をまねた縦長の画面や大胆な構図、余白表現を取り入れたことも特徴です。

1890年に国立美術学校で開催された日本美術展が、
彼らに大きな影響を与えました。

ドニやヴュイヤールの装飾的な画風は、版画やポスターなど商業美術にも発揮され、
『アール・ヌーヴォー』に直結しました。

ナビ派の中でも特に日本好きで知られるボナールは、
愛妻との日常を鮮やかな色彩で描いて【親密主義「アンティミスム」】
呼ばれた私小説的な絵画を開拓します。

 

 

 

ナビ派の画家たち

セリュジエ

 


ポール・セリュジエ

1864年11月9日‐1927年10月7日

 

フランス・パリ出身の画家
セリュジエは抽象絵画の先駆けであり、ナビ派の創設者の一人です。
ゴーギャンの影響を受けたクロワゾニズムでもあります。

 

ゴーギャンの助言を受けて「タリスマン」を制作しました。
作品をパリに持ち帰り、ゴーギャンから学んだアイディアを美術学校の仲間に伝えました。

 



【タリスマン】1888年 オルセー美術館

 

 


【森の中の4人のブルターニュの少女】1892年 国立西洋美術館

 

 

 

ドニ


モーリス・ドニ

1870年11月25日‐1943年11月13日

フランス・グランヴィル出身の画家
セリュジエヴュイヤールとともに「ナビ派」を結成しました。

 

幼い頃から宗教と芸術に強い関心を寄せていたドニは、何度もルーヴル美術館を訪れ、
ラファエロやボッティチェリの絵を好んで鑑賞したといいます。

 

ドニは芸術の源泉は画家の個性にあるという制作の理論を1898年に発表しました。
「芸術作品を創造するものは、画家の力であり、意思である。」と言っています。

 

絵画における平面性の追及は、セリュジエの抽象画からの影響がある一方で、
ドニもその平面性を装飾性へと発展させていきました。

 


【ミューズたち】1893年 オルセー美術館

 

 


【セザンヌ礼賛】1900年 オルセー美術館

 

 

 

 

ボナール


ピエール・ボナール

1867年10月3日‐1947年1月23日

フランスの画家。
当時主流であった写実主義に反発し、ゴーギャンや日本美術の影響を受けながら
新たな美の創造を目指した「ナビ派」の創設者の一人です。

 

ボナールは版画やポスターにも優れた作品を残しています。
ナビ派の中でも特に日本美術(ジャポニズム)の影響を強く受け、
「ナビ・ジャポナール」(日本的なナビ)と呼ばれました。

 

色彩表現が豊かな画風が特徴としてと呼ばれ、
室内など身近なモチーフを数多く描いたことから、
アンティミスム(親密主義)と呼ばれています。

 


【チェックドレスを着た女性】1890年

浮世絵に影響を受けた平面で装飾的な画面構成と、光と華やかさに満ちた画風がボナールの特徴。

 

 


【逆光の裸婦】1908年 ベルギー王立美術館

 

のちに妻となるボナールの恋人です。マリア・ブールサン(通称マルト)は病弱で
家にこもって入浴ばかりしていたそうです。

 

 


【浴室の裸婦】1907年 新潟市美術館

 

ボナールの妻マルトはお風呂が大好きすぎて、
1日のほとんどの時間を浴室で過ごしていたと言われています。

 

ボナールは妻のマルトが入浴する姿を300枚以上描きました。
本作は浴室の裸婦の中でも初期のもので、他の作品と比べて色彩が薄めです。

 

 

 

ヴュイヤール


エドゥアール・ヴュイヤール

1868年11月11日‐1940年6月21日

フランスの画家で版画家。
セリュジエ、ドニ、ボナールらとともにナビ派を結成した一人に数えられます。

 

他のナビ派の画家よりも平面的で装飾的な特徴があります。
ボナールと同じく室内や日常生活など、身近なモチーフを好んで描き、
自らを『アンティミスト』と称しました。

 

ヴュイヤールはドレスメーカーだった母親と暮らしていたこともあり、
室内空間や家庭空間が身近にあり、作品の多くは実家の影響を反映していました。
装飾的で、複雑なパターン模様を描きました。

 

ヴュイヤールもボナールと同じ日本美術に影響を受け、
日本美術と西洋絵画を融合させた屏風絵なども多く描いています。

 

 


【2人の学童】(「公園」より) 1894年 ベルギー王立美術館

 

 

 

 

平面性と細部の省略、縦長画面を縦横に区切る大胆な構図など、
日本美術に影響されたことがわかります。

 

 


【縞模様のブラウス】1895年 ナショナル・ギャラリー

 

 


【ヴァンティミーユ広場】1911年 ナショナル・ギャラリー

5枚組の屏風作品

 

 

 

まとめ

 

印象派のほかの時代にも、日本美術を学び取り入れた時代が「ナビ派」だったんですね!
日本美術の「あっさり」で、ゴーギャンの「クロワゾニズム」をおしゃれに洗練しました。

 

ナビ派の特徴をまとめると

・「クロワゾニズム」を継承した平面性と装飾性
・日常生活など身近なモチーフを描いた
・日本美術に影響を受けた

という感じですね。

 

次回は象徴主義のお話をしていきます。

今回はここまでにします。
それではまた!

 

【象徴主義】過去と夢と古すぎて逆に新しい幻想絵画について解説します