ブーシェってどんな画家?全工程を一人で制作した巨匠について解説します

 

 

 

アクリル絵の具で描いた作品

 

 

 

こんにちは絵描きの川原です。

私は絵を描く時によく音楽を聴きながら作業をすることが多いですが、
最近になって音楽を全く聴かずに、静かな場所(自然の音)で絵を描くことが増えてきました。

 

さて今回の記事では、ロココ盛期の画家『フランソワ・ブーシェ』についてお話していきます。

ブーシェの描く絵はドレスに身を包んだ、当時の貴族のファッションが楽しめる肖像画が多いです。
それに加えヴァトーに始まった『雅宴画』と室内を舞台にした『閨房画(寝室)』(けいぼうが)でも活躍します。

 

フランソワ・ブーシェについて知りたい方は是非この記事を読んでみてください!

 

 

フランソワ・ブーシェってどんな画家?

本名:フランソワ・ブーシェ

生没年:1703年9月29日‐1770年5月30日(66歳)

活躍した場所:フランス パリ

特徴:雅宴画、閨房画(けいぼうが)

作風:ロココ

弟子:ジャン・オノレ・フラゴナール

 

フランソワ・ブーシェは、宮廷画家として多くの作品を残しました。

生涯制作数

絵画1000点以上
版画200天井
素描1万点以上を制作

絵画以外にも壁画、装飾、舞台デザインの仕事もこなしていました。

ブーシェの父二コラ・ブーシェが刺繡装飾家であり聖ルカ・アカデミー所属の画家であったため、
はじめは父から絵画を教わっていたと言われています。

 

父の後押しもあり当時、国王の主席画家を務めいたフランソワ・ルモワーヌのもとで修行しました。
しかしブーシェはルモワールから学ぶとこはなく、長くいることはなかったそうです。

原因として弟子の面倒を師はほとんど見なかったことにあります。
ですが、1720年代のフランソワ・ルモワーヌとブーシェの作品を見比べてみると、
ルモワールの影響はなかったとは言い切れないほどその様式が似ています。

 

 


【ヘラクレスとオンファレ】フランソワ・ルモワーヌ 1724年

 


【レベッカとエゼキエル】フランソワ・ブーシェ 1725年頃 ストラスブール美術館

 

1728年にはイタリア旅行で絵画の修行も行い、イタリア画家の影響も受けます。
1731年には王立絵画アカデミーの準会員として認められ、後に美術関係官職へ任用されたりとエリート街道を歩みます。

 

1765年、ルイ15世の『国王の主席画家』を拝命し、王立絵画彫刻アカデミー院長の座に就きました。

ロココ期の次の時代である『新古典主義』の代表画家ジャック=ルイ・ダヴィットは
従兄弟の息子
です。

 

 

 

全工程を一人で制作

【水浴のディアナ】1742年 ルーヴル美術館

 

 

『画家』は作品の構想から仕上げまで全て一人で行うイメージがあります。

 

人気画家になると『工房』を構えます。
工房では弟子に下描きをさせたり、作業を分散させ効率よく依頼を完遂する画家がほとんどでした。

 

例えばルーベンスは大規模な工房を構え、100人の弟子を抱えていました。
弟子たちと作品を大量に生産していたんですね。

 

フランソワ・ブーシェは全工程を一人で制作しました。

 

この『工房システム』を構築したルネサンス期の巨匠ラファエロ50人規模の大きな工房を構えました。

工房を構える画家もいれば、逆に同時期の巨匠ミケランジェロのように他人の手を借りるのを嫌い一人で制作する画家もいたんですね。

 

 

作品集


【昼食】 1739年 ルーヴル美術館

 

 

【ヴィーナスの勝利】1740年 スウェーデン国立美術館

 

 


【朝】1746年 スウェーデン国立美術館

 

【ソファに横たわる裸婦】1751年 ヴァルラフ=リヒャルツ美術館 ケルン

 

 


【ポンパドゥール夫人】1756年 アルテピコナーク ミュンヘン

 

 

ブーシェの家族の肖像画


【ボードワン夫人】1760年 コニャック=ジェイ美術館

 

 

 

まとめ

 

今回はロココ盛期を代表する画家フランソワ・ブーシェについてお話してきました。

生涯制作数が非常に多かったのですが、ブーシェ一人で制作したんですね。
国王の主席画家になったりとどこまでもエリート。

肖像画は当時の貴族のファッションが楽しめます。

 

今回はここまでにします。
次回は【フラゴナール】についてお話していきます。