ロココ最後の画家フラゴナールとは?有名な絵画【ぶらんこ】について解説します

 

 

アクリル絵の具で描いた作品

 

 

こんにちは絵描きの川原です。

今回はロココ後期の画家ジャン・オノレ・フラゴナールについてお話していきます。
フラゴナールの有名な絵画といったら『ぶらんこ』またの名を『ぶらんこの絶好のチャンス』ともいわれています。

フラゴナールとは一体どんな画家だったのかについて解説していきます。
なぜ『ぶらんこ』は『絶好のチャンス』なのか?

フラゴナールについてもっと知りたい方はこの記事を是非読んでみてください!

 

 

フラゴナールってどんな画家?

本名:ジャン・オノレ・フラゴナール

生没年:1732年4月5日‐1806年8月22日(74歳没)

活動した場所:フランス パリ

特徴:蠱惑術(こわくじゅつ)(コケットリー)

作風:ロココ

師匠:ブーシェ、シャルダン

 

1732年に南フランスのグラースで、皮手袋製造業を営む家庭に生まれました。

20歳の時に王立絵画アカデミー主催のコンクール『ローマ賞』を受賞します。

美術学校に入学したあとに受けるのですが、みんなは落ちる『ローマ賞』。
フラゴナールはすんなり受賞します。

ローマ賞を受賞したフラゴナールは、『宮廷画家』というエリートコースが約束されたようなものです。

 

フラゴナールは4年間のイタリア留学を終え、帰国後の1765年に『コレシュスとカロリエ(カロリエを救うために自らを生贄に捧げるコレスュス)』という大作を制作します。
王立アカデミーの入会を志願して提出した作品になります。

 


【コレシュスとカロリエ】1765年 ルーブル美術館
(カロリエを救うために自らを生贄に捧げるコレスュス)

 

ローマ賞とは
若手の才能ある画家に贈る賞で、フランス国家が授与する奨学金付き留学制度です。
1663年、ルイ14世によって創設された。

 

 

短期間であったもののブーシェシャルダンの二人に師事します。
ブーシェの元ではタペストリーのデザインの仕事を手伝っていました。

ブーシェに師事したことで宮廷に深く関わることになります。

 

フラゴナールは画家であり、ルーブル美術館で働いたこともあります。
ルーブル美術館での業務内容は収蔵品管理を任されていたそうです。

晩年はルーブル美術館をクビになり、失意のうちに亡くなってしまいます。
また制作を全く行っていませんでした。

 

フラゴナールもデッサンを含むと550点以上の作品を残しています。

生涯作品制作数から見ると師匠であるフランソワ・ブーシェに比べれば少ないですが、
やはりブーシェの弟子なんですね。

 

 

 

ロココ時代の熟し過ぎ爛れた宮廷文化

 


【恋の逢い引き】1771年‐73年 フリック・コレクション

 

ルイ14世が死去し、ルイ15世のフランス宮廷から始まりロココは流行します。
ルイ15世の長い治世と愛妾ポンパドゥール夫人のもと、国力は衰えていきますが文化は繫栄していきます。

フラゴナールの生きたロココ時代は、『雅宴画』の優雅さ『閨房画』の蠱惑で宮廷文化が爛熟(らんじゅく)する一方で、庶民の生活は苦しくなり、ルソーらが「百科全書」を編纂し啓蒙思想を広めました。

 

ここまでくるとロココ美術は庶民ではなく富裕層だけが好む作品として廃れていきました。
後にロココに反発する形で『新古典主義』という時代がやってきます。

 

ルイ16世の王妃マリー=アントワネットは庭に農村を再現するなどして
公費を浪費しまくります。

これによりフランス革命を招きました。

 

フランス革命が起こると宮廷や貴族のコレクションを国が没収し、ルーブル美術館に移します。
その作品を管理、整理する仕事をフラゴナールが担当していました。

もちろん宮廷文化の崩壊と共にフラゴナールは画家としての仕事もなくなり、
忘れ去られた画家となってしまいました。

 

いままで制作依頼をしていたのが宮廷や貴族の人達となると、宮廷文化が崩壊したらどうなるかはご想像の通りです。

 

 

 

フラゴナールの代表作品『ぶらんこ』


【ぶらんこ】1768年頃 ウォレス・コレクション蔵

 

庭園の中でブランコ遊びをしている男女が描かれていて、
左下にいる貴族の青年が少女のスカートの中を覗いているように見えます。

実はこの絵の中に「ぶらんこ」の制作依頼者が描かれているんです。
作品の制作依頼者は画面の左下にいる青年で、名前はサン・ジュリアン男爵といいます。

 

この絵をよく見てみるとブランコに乗っている少女の後ろで、ブランコにロープをつなげ後ろに引っ張っている白髪の紳士が描かれています。
常識であればこの白髪の紳士は「執事」ですが、庭で毎日こんなことやっていた宮廷文化と考えれば、それは変わってきます。

 

飛ばした靴をサン・ジュリアン男爵に取らせ、履かせるということも想像できます。
しかもこの少女、実は下着をはいていません!

ここまでくるとさすがに腐れきった宮廷文化の蠱惑術と言いたくなりますね!

ですがその少女は「見せるフリ」「覗かせるフリ」を演じています。

 

少し脱線して今いましたが、わざと脱いで飛ばした靴、大きく斜めに入った背景、、キューピッドの像がこの絵の軽快さを醸し出してます。
登場人物もみんな生き生きとしています。

 

 

 

作品集


【シーソー】1750‐1752年頃 ティッセン=ボルネミッサ美術館

 

 

 


【読書する娘】1775年 ワシントン・ナショナルギャラリー

 

 

【盗まれた接吻】1787年 エルミタージュ美術館

 

 

【閂(かんぬき)】1780年頃 ルーブル美術館

 

 

 

まとめ

 

今回はロココ美術の最後の画家フラゴナールについてお話してきました。

フラゴナールの生きた時代は、宮廷だけ贅沢をして庶民は苦しい生活を送らなければならなかったんですね。
そんなフラゴナールは、時代の中で翻弄しロココ美術の最後を飾った画家だったんですね。

 

今回はここまでにします。

次回は新古典主義の画家ジャック=ルイ・ダヴィットについてお話していきます。
それではまた次の記事でお会いしましょう!